教訓 宙ぶらりんに強くなれ(2007年12月)


 阿川弘之著『大人の見識』(新潮新書)に、中西輝政京大教授に教えて貰ったこととして、こんなことが書いてある。古代ギリシアの歴史家・ポリュビオスは次のような指摘をしていると。「物事が宙ぶらりんの状態で延々と続くのが人の魂をいちばん参らせる」。

 こういう時は早く白黒を付けると気持ちがいいのだが、それを国の指導者がやると、その国は滅亡の危機に瀕すると。中西氏の言葉をさらに引いて――。

 「この言葉、近代の英国では軍人も政治家もよく取り上げる決まり文句。英国のエリートは、物事がどちらにも決まらない気持ち悪さに延々と耐えねばならないという教育をされている」

 私がギャンブルに膨大なエネルギーを注いで、やっと身に付けた心得は、紀元前からわかっていたことで、英国では常識だったのか……。

 だが、知識として頭でわかっていることと、痛みを伴って身体覚えたことは違う。例えば、麻雀をやればわかるが、宙ぶらりんといっても、常に微妙な潮目の変化はある。状況に合わせて、反射的に身体が反応できなければ、分かったことにならない。

 人生一般は宙ぶらりんの状態のはずである。だとすれば、ポリュビオスの気付きは本質的なことなのである。

 誰しも、宙ぶらりんはきつい。ただ我慢するだけでは神経が麻痺してしまう。ではどうすればよいか。私は世阿弥が『花鏡』で示した「離見の見」という舞いの心得が有効だと考えている。世阿弥は、自分の肉眼で見える世界を「我見」、離れた場所から自分を客観的に見る目を「離見」と呼んでいる。

 宙ぶらりんな周囲と自分を、我見と離見の総合で見る。すると、一見退屈な日々の中にも発見や感動があって、けっこう楽しみも出てくる。少なくとも麻痺から逃れられる。私は20歳の頃から30年以上この感覚を大事にしている。世阿弥が求めた到達点には、恐らく1%も近づけてはいないが、効果は実感している(ギャンブルが強くなったとはいえないが、負けにくい体質にはなった。)