教訓 一日が一生と思って生きる(2008年12月)


 仕事のヒントになる本を紹介するのが本欄の役割である。だが、最近の景気・雇用状況を見ると、一個人の手に余る ことが多すぎる。こういう時期は、倫理観が崩れる心配がある。仏教界の責任ある立場の人からの、提言が欲しいと思 っていた。生き方の指針、心の持ちよう、などを説いて欲しいな、と。

 せめて年末年始を心穏やかに過ごしたいと思う人には、酒井雄哉『一日一生』(朝日新書、700円)がいい。著者は天台宗大阿闍梨。「千日回峰行」という荒行を二度も満行した人だ。タイトルにあるような心持ちで日々を生きると気持ちが軽くなる。「今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることはない、落ち込むこともない、明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない」

 全編平易な言葉だけで説いてある。読みながら、素直な気持ちになれる。同じ言葉でも、誰がいったかで伝わり方が違う。言葉の背景にあるものの重みが本全体に溢れている。

 「いま良いことをしても、その結果は今日すぎに来るかもしれないし、三代くらい後かもしれない、でもそれは早いか遅いかの違いで、いました行いの結果は必ずあらわれると思うと、前向きになれるのじゃないないかな。たとえいま巡り合わせがよくなくても、その分、いま良いことをしていけば、未来は変わっていくかもしれない」目先のことも大事だが、長い目で世間を眺める必要もあると気付かされる。

 著者は、毎日、根本中堂にお参りをする。その本尊は薬師如来である。脇には日光菩薩と月光菩薩いる。あるとき著者は気付きを得る。自分が立っている一方からは日光が射している。反対からは月光が。ということは、仏さんはその真ん中にいるはずだ。そうか、仏さんは自分の心の中にいたのだ、と。

 私は歩くのが趣味で、時間が許せばあちこち歩いている。著者が歩くことの素晴らしさを説いているのも、ちょっと嬉しかった。