教訓 利益と道徳の大小は比例する(2010年11月)

 渋沢栄一は明治を代表する実業家。第一国立銀行(現みずほ銀行)を始め500社近い企業の創立・発展に貢献した人物である。孔子の教えを実践し、公益を追求しながら巨富を築いた。代表的な著書は『論語と算盤』で、2年前に文庫に収められ、古めかしい文章ながらかなり売れた。
 それ以外にも、渋沢関連本はたくさん出ており静かなブームが来ている。経済が手詰まりだから、目先の利益にとらわれて不道徳なことを考えたくなる輩が増えそうだ。警鐘が小さな音で鳴り始めているのだろう。
 最近、渋沢のもう一つの代表作『青淵百話』が、抜粋された形で『渋沢百訓 論語・人生・経営』(角川文庫、743円)として復刊された。彼は利益と道徳の大きさは比例するという信念を持っている。
「利益を棄てたる道徳は、真正の道徳ではなく、また完全な富、正当な殖益には、必ず道徳が伴わなければならぬはずのものである」
 なぜこんな信念を持ったのだろう。彼は農民に生まれたが、武士に憧れた。努力して武士になるが、明治維新で武士を捨てざるを得なくなる。一旦は官僚になるが、挫折し、ビジネスの世界に身を投じる。士農工商の士から商に転じたのだ。渋沢は武士のフォームで一生を通したかったのであるまいか。さらに武士の精神はビジネスにも通じるはずだ、と信じたかったのだ。
 渋沢が少年時代に、父親から何度も聞かされた話が特に気に入った。近所に働き者の爺さんがいて、彼は一財産をつくったが、貧乏な時と同じように勤勉に働いた。近所の人は「楽に老後を送ればよいのに」という。だが、爺さんはこういう。私は働くことが何よりの楽しみだ。働いてゆくうちに楽しみの糟ができる。糟それ自体が世の中の金銀財宝である、と。