不死鳥の落胤(フェニックスのらくいん)

作 さい ふうめい

 登場人物

○カジノ・フェニックス

朱雀正次(27)

綾花(25)

コンドウ義一(37)

関口武(29)

江上ともえ(24)

リンコ(22)

○内務省

佐伯悦也(39)

山村修平(34)

長谷薫(26)

宮本(24)

○新宿一派

堂園喜之助(38)

モヤ返しのシー坊(21)

パイン(20)

○常連客

お夏(29)

スミ子(31)

お時(19)

吉成勘次(27)

吉成京(29)勘次の妻

機関工・亀鉄(34)

織田壮次郎(26)

福田幸三(31)

シュウシャインボーイのタマ公(14)

アーサー(25)

ポッチン(22)

○ジョー(GI)、ニック(同)

 一九四八年、春――。

 上野は桜の真っ盛りである。

 上野は東京大空襲で一面焼け野が原になっている。どこもかしこもバラックの露店だらけ。いわゆる闇市である。

 闇市では、国籍、階級、身分、出身、学歴などを一切問われることはない。

 華族もヤクザも軍人も被差別窮民も解放国民も同格であり、路上に一枚のゴザを敷いて貧しい品物を売っていた。

 樋口陽一詩集のあとがきにこういう一節がある。

「ヤミ市にウソはなかった。元中将、元社長、元宮サマ、元教授、……「元」や前歴は通用しなかった。弱肉強食、相互扶助、狡猾、義理人情、窃盗、ゆすり、……たがいに対立拮抗するもろもろのものが、おり重なり、もつれあって共存していた。飢えた小さな女の子がふかしイモを盗むと屋台の大男が足で蹴りつけて転がし、しかし、その大男も血の気の多い若者たちにぶちのめされた。ヤミ市とはそんな人間のにおいがぷんぷんする一角だった」

 国電から京成に抜ける地下道には、おびただしい数の浮浪者が、カビのように張り付いていた。

 京成を抜けて、現在の鈴本演芸場の対面あたり、忍ばずの池を望む場所に、カジノ「フェニックス」がある。

 オーナーのコンドウは日本にカジノ天国を作る夢を持っている。バラック仕立てではあるが、このカジノ、かなり規模は大きい。

 テンポのいいジャズの曲が流れている。

 中央に大きなルーレット。バカラ、ブラック・ジャックなどのできる卓が置いてある。

 ルーレットのディーラーは綾花。サブ・ディーラーのリンコ。卓に着いているのは、朱雀、関口、勘次、スミ子、お時、亀鉄、福田である。

 ともえは客のグラスに粕取りを注いでは、代金を貰っている。

 京は勘次の傍に。アーサーとポッチンは店の端っこで、芋アメを作っている。

 店の様子を奥で、コンドウが見ている。コンドウの靴をタマ公が磨いている。

 お夏は、スミ子の傍に座ろうとするが、席を空けてもらえない。卓に近づけないお夏はなかなかチップが張れない。

 マントを羽織った織田は、ルーレットに興じている連中を見ながら、ノートに何やら書き記している。

朱雀 頼む、当たってくれ! 今度外すと、俺、弘前に帰れなくなっちまう。

綾花 プレイス ユア ベッド(球を投げる)。

朱雀 赤の8。一点張りだ。これで負けたら、切符代を使い切った上に、今日のオマンマ代もなくなっちまう。アハアハアハ(引きつった笑い)……。入れ!

 が、目は外れてしまう。

朱雀 アッ……。(周りをうかがい)さあ、気を取り直して、もう一番。(関口に)マネージャー、借りだ。

関口 新入りの兄さん、お前今日来たばかりで、一体いくら借りたと思っているんだ?

朱雀 いいじゃないか、俺は今日、ここに500円も落とした上得意だぜ。100円や200円。

関口 お前はもう300円も店に借りているんだ!!

朱雀 あら……。

関口 さっさと払って帰りな。(朱雀のポケットを検める)隠してるんだろう?

 関口は朱雀の身体を探るが、見当たらない。

関口 本当にないのか?

朱雀 だから借りたんです。

関口 何!!

お夏 あんた、初めてきた店で借りて払えないなんて、殺されたって文句はいえないよ。

朱雀 ころ、ころ、ころ……そんなことは……ない、よね?

 朱雀を関口、勘次、亀鉄、福田で取り巻いている。

 朱雀は土下座。

朱雀 申し訳ありませんでした。弘前に帰るんで、せめて土産でもと思ったのが間違いの元だったんだ。下働きでも何でもします。金は必ず返しますから。

スミ子 あんたねえ、上野駅降りて、地下道通ってここに来たんでしょう? 浮浪者と戦災孤児で足の踏み場もないの見たでしょ? あんたがつける仕事なんかあるわけないじゃない。

お時 ひょっとして、仕事にありつこうって魂胆だったんかいな?

朱雀 いや、そんなんじゃ……。

関口 ちょっと顔貸してもらおう。

朱雀 待ってくれ。俺、なんだか小便したくなった。(出口に逃げようとする)

関口 この! 待て!

 と、朱雀は三人組に出口を塞がれていて出ることができない。

 三人組は、堂園、シー坊、パインである。形相が怖い。

朱雀 わッ!(あとずさる)

堂園 (コンドウを見て)今日こそはカタをつけようじゃねえか。

朱雀 俺じゃないの? よかった。(ほっとする)

関口 堂園! 手前らは新宿にすっこんでろ!

 コンドウが出てくる。

コンドウ 堂園。ノガミのシマが欲しいか。ここには進駐軍流れの、酒、煙草、ガソリン、車、拳銃、何でも揃っているからな。残飯シチューしか売ってねえ新宿マーケットで、殿様やっても、結局は田舎大名止まりだからな。

堂園 言わせておけば。どちらが田舎大名か、決着をつけようじゃねえか。

コンドウ 弾は持ってきたのか?

 シー坊が鞄の中の札束を見せる。

コンドウ (見て)ほう!

堂園 お前の弾がなくなるまで打つ。そしたら、この店ごと俺のものだ。

コンドウ 俺に博奕で勝つだと? 寝言は布団の中でいうもんだ。

 お夏は中身を見る。

お夏 (スミ子に)カモがネギを背負って山手線に乗ってやってきたわ。クックック。

スミ子 コンドウさん、堂園なんか、返り討ちにしてやって。

コンドウ よしきた。(堂園に)チンチロか?

 パインが壺ザルを示す。

堂園 チョボ一だ。今日は俺が胴を張る。いいな。

コンドウ 構わん。どっちが張ろうと博奕は強い奴が勝つ。

 パインが、壺ザルとサイコロを卓の上に出す。

パイン いきまっせ。

コンドウ こいつ何だかインチキ臭いな。

堂園 なんだと!!

コンドウ こっちの壺ザルとサイを使え。(綾花に)綾花、壺ザルとサイを一つ持ってこい。

綾花 はい。(壺ザルとサイコロを持ってくる)

堂園 ケチケチせずに、たらふく張れよ。

コンドウ 手前なんか、一発で飛ばしてやらあ!

織田 (お時に)これはどういうゲームなんですか。

スミ子 あらら、学士さまでも知らないことがあるんだね。こっち(堂園)がサイを振る。こっち(コンドウ)が目を読んで張る。一点張りで当たれば、6倍だ。

 堂園、壺を振る。

堂園 さあ、張った。

コンドウ いいか、一発で飛ばすぞ!!(札束をドサリ)5だ!!

堂園 勝負。2だ。

コンドウ 何!!

堂園 ノガミの旦那、ツキがねえな。

 シー坊とパインでコンドウが積んだ札束をリュックにしまう。

シー坊 始めよければ次もよしだ。

パイン それをいうなら、始めよければ終わりよしだ。

シー坊 そうともいう。

コンドウ 次だ、次だ。早く振れ!

堂園 さあ、入ります。(振る)

コンドウ 1だ。

 勘次と亀鉄、ともえが金を張る。

コンドウ 俺の読みが外れるもんか。ケチケチせずにもっと張れ!(ドカリと張る)どうだ、まいったか。1と出れば、ジュクの金はみんな俺の懐に転がり込むってわけだ。

堂園 勝負!!(ザルを開ける)2!!

コンドウ 何!! 

スミ子 コンドウさん!!

お時 (スミ子に)どないなっとんの? コンドウさんが二回も続けて目を外すやて。こないなこと初めてやわ。

堂園 コンドウ、もうボケたんじゃねえか?

コンドウ 能書きは次勝ってからいえ。さっさと振りやがれ。

堂園 勝負。(振る)

コンドウ ようし、有り金全部だ。5!!(金を卓上にぶちまける)

お夏 コンドウさん、よしなよ。今日は、盆が見えていないんだ。

関口 兄貴、今日は日が悪い。やめだ。

コンドウ 手前、俺に意見するのか! 俺がここ一番の勝負で負けたことがあるか!

堂園 三下はすっこんでろ!!

関口 何だと!! このイカサマ野郎!

堂園 俺のどこがイカサマだ! そっちが用意した壺とサイを使っているじゃねえか。

関口 手前はいつもいつもせこいイカサマ使ってきたじゃねえか!

堂園 何だと!!

 堂園と関口は胸倉をつかみ合う。

シー坊は亀鉄と一触即発の状態。

コンドウ やめろ! やめるんだ! ここは金をかける場所だ。命をかけるとこじゃねえ。

勘次 コンドウさん、そんなこといって、次の目を外しちまったら、この店はジュクのチンピラにとられちまう。俺たちはまた浮浪者に逆戻りだ。

コンドウ そんなことはさせねえ。俺が博奕に負けるわけないんだからな。

京 そんなこといったって、二回も続けて目を外しているじゃないか。

コンドウ 今度勝ちゃいいんだ。今度勝つから俺はコンドウってんだ。

堂園 能書きはそこまでだ。勝負!(自信満々、微笑さえ浮かべている。壺ザルに手がかかる)

 ノガミ一派は息を呑む――。絶体絶命。

お時 南無……。(手を合わせる)

スミ子 よしなよ縁起でもない。

お時 こんな時は、神様に頼るよりないやん?

スミ子 それは仏様っての。神様はこう。(十字を切る)

お時 そうか。ほなら、神様助けて。南無……。(十字を切る)

スミ子 駄目だ。

堂園 俺の勝ちだ!(壺を開けようとする)

朱雀 待った!(中央に出てくる)

堂園 何者だ? この赤ミミズをふんずけたような奴は?

お夏 さっきそこで、赤ミミズふんずけたらにょきっとでてきたんだよ。ハハハ。

堂園 邪魔だ。

朱雀 この勝負、イカサマだ。

コンドウ どういうことだ。

堂園 こいつ、アヤ付ける気だな。

朱雀 その壺ザル、中にテグスが仕込んであるぜ。

コンドウ 本当か?

朱雀 ああ。普通、壺ザルはこう持つ。(普通に持つ格好)だが、この兄さんは、親指を立てている。ここ(壺ザルの中央部)にテグスの先っちょが出ているんだ。こいつで、ひょいっと引っ張って、中のサイを転がしている。自分が出したい目を出す仕掛けだ。

堂園 でまかせ言ってるんじゃねえ。この壺ザルは、ノガミのもんだ。綾花が持ってきたんじゃねえか。

朱雀 すりかえる暇ぐらいあった。

コンドウ こんだけ張った勝負だ。検めさせてもらうぜ。

堂園 もし、何にも出てこなかったら、兄さん、東京湾に浮かぶことになるぜ。いいのかい?

朱雀 いや、そんな約束は……。

コンドウ (大声)よし、好きなようにしろ! この兄さん、一回は死んだ身だ。

朱雀 待って、そんな……。

 コンドウは壺ザルを検める。

 朱雀はパインとシー坊に羽交い絞めにされている。

コンドウ (壺ザルから糸を引っ張り出す)これはテグスだな。博奕でイカサマがばれたらどうなるかわかっているな。

スミ子 腕の一本もいただこうかしらね。(右手をつかんで)

コンドウ 今度だけは勘弁してやるから、有り金全部置いて、出て行きやがれ。

堂園 ちっ! (金の鞄をコンドウに投げつけて、表に出ようとする)

 パインとシー坊は、朱雀を投げ飛ばして後を追う。

堂園 (シー坊に)手前が、とろすぎるんだ。(頭をはたく)

シー坊 (パインをはたき)手前がとろすぎるんだ。

パイン (困る)……。

 三人は去る。

コンドウ (朱雀に)お前、意外と使えるな。

朱雀 (手を出す)

コンドウ 給金はまだ早い。お前、名前を聞いていなかったな。

朱雀 朱雀です。朱雀正次。

コンドウ どうして奴らがサマ使っているとわかった?

朱雀 俺、弘前の孤児院で育ったんですが。その時、同じ部屋にヤクザの息子がいてね、あんな風に壺ザルを握って(親指を立てる)、勝ち続けたことがあったんですよ。で、そいつが風呂に入っている隙に、調べたらあんな仕組みになっていたんです。

スミ子 あんた、いい孤児院に入ったね。

朱雀 みんな博奕が好きで、今生きている奴は殆どヤクザになっているんですがね、何故だか「マリアの愛孤児院」っていうんです。

 亀鉄が血相を変えて入ってくる。

亀鉄 大変だ。奥の部屋が荒らされている。

関口 何!!

コンドウ 関口、タマ公、ついて来い。

関口 おう。

タマ公 合点!

 コンドウ、関口、タマ公は奥の部屋に――。

 少し遅れて、亀鉄もついていく。

勘次 (京を脇へ連れて行き、小声で)まさか、例のものが盗まれたんじゃ。

京 あんたが心配するようことじゃないよ。

 傍で朱雀が聞き耳を立てていた。

 以下、しばらく辺りを憚りながら。

朱雀 例のものってのはなんだい?

勘次 手前、地獄耳だな。他の奴にはいうなよ。

京 あんた。

勘次 ここまで聞かれたらしょうがねえ。(朱雀に)口外したら、俺の手で始末するぜ。(すごむ)

朱雀 (頷く)……。

勘次 博奕場はどこも内務省とGHQに潰されてきたろう? ジュク。ブクロ。ダカン。バシン。ところがなぜノガミだけ内務省が手を出せないのか。

朱雀 何故だ。

勘次 それはコンドウさんがあるものを持っているからなんだ。

朱雀 勿体つけずに教えろよ。なんだいそれは。

勘次 だから、それはな――。内務省とGHQの弱みなんだ。内務省は博奕場をつぶしたい。GHQは闇市全体をぶっ潰したい。ところがコンドウさんに弱みを握られて手が出せない。

朱雀 それはなんだってきいてるんだ。

勘次 だから、弱みなんだよ。

朱雀 知らないのかよ。

京 あんた、コンドウさんを信じない気?

勘次 ものは何だっていいじゃねえか。俺たちが無事なら。まあ、浮世の悩みは忘れて食え。

 福田はポッチンが持っている芋アメを渡す。

朱雀 これは?

アーサー 芋アメ。

ポッチン 芋にアメを絡めてあるんだ。

勘次 食うかい?(小さな芋の切れッ端を、爪楊枝で刺して朱雀に渡す)

朱雀 甘え!

アーサー はい、五銭。(手を出す)

スミ子 本物の砂糖だよ。(ムシロをはがすと、砂糖の袋が積み上げてある)

朱雀 こんなに! 一体……。

お時 進駐軍の横流し品よ。私たちの色香に負けたアメリカ兵は、もういいなりなんよ。

スミ子 あんたの貢献度は低いけどね。

お時 何よ。アメリカ兵にだって、メンクイはちゃんといるのんよ。

ともえ (制して)はいそこまで。お時がしゃべると余計にこんがらがっちゃう。ここにご禁制の砂糖があるのは、関口さんのお陰なの。あんたにさっきつかみ掛かった人さ。

関口さんは戦前刑事をやってた関係で、警察の上層部に取り入る特技があるんだ。彼は、ミニタリー・ポリス、つまりアメリカのポリに取り入って、進駐の横流し品をごっそり買いこんで来るってわけ。

勘次 砂糖だけじゃねえぞ。洋モク。ウイスキー。ドレスに拳銃。ガソリン、冷蔵庫。なんだってあるんだ。ここにはないものはない。物が欲しい奴は、みんなここに集まる。金と力(壺を振る真似)がある奴が欲しいものを手に入れる。氏も素性も関係ねえ。昨日まで何していたって構わない。国籍を訊く奴もいねえ。だから、お互い何人(なにじん)か本当のことはわからない。

ともえ それでも生活は潤いを持って成り立っているというわけよ。

勘次 俺たちは、日本中をこのノガミみたいにしようって思っているんだ。

ともえ それを言い出したのは、コンドウさんでしょ?

勘次 だから、俺っていってないじゃないか。俺たちっていったよな?

スミ子 「たち」っていうのは小さな声で言ったよ。俺(大声)たち(小声)……ねえ?

ともえ (勘次に)胸はりすぎだっていうの。

 一同、勘次を馬鹿にした笑い。

 コンドウ、関口、亀鉄、タマ公が帰ってくる。

関口 (コンドウに)変ですね。(腑に落ちない様子)

コンドウ (みんなに)心配ない。何も盗られたものはない。

お夏 よかった。

勘次 一体誰が――。

京 新宿の奴らかしら?

関口 いや、奴らは奥の部屋を知らない。(朱雀に)お前、勝負に入る前、奥の廊下のところをうろうろしていたな。

朱雀 ち、違いますよ。

関口 確かにお前だ。盗む気だったな。

朱雀 何いってるんですか? 俺は、ここと便所しか行ってねえ。

お時 弘前に帰るついでに荒稼ぎかしらね。

スミ子 で、何もとれなかったから、博奕でタネ銭を膨らます作戦に切り替えた。

朱雀 そんな。第一、人を泥棒呼ばわりできるんですか。みんな違法な横流し品でしょう。

関口 説教を聞いてるんじゃねえ。何で、奥の部屋を荒らした?

朱雀 だから、やってないって。

綾花 この人のいうことは本当よ。嘘は言っていない。

関口 綾花……。

コンドウ 綾花がいうのなら、こいつはシロだ。

朱雀 ……。

関口 綾花、こんな奴、かばうことはないんだ。

コンドウ (朱雀に)こいつは人の心を読む天才だ。相手が何の目に張ってくるかを読み、それを外して、球を投げるのが仕事だ。だから、お前はシロだ。

関口 (部屋の隅で)コンドウさん、俺はあいつを見たんだ。

 不死鳥の落胤   幕前十一ページ

 フェニックス。

 深夜のことだ。

 電話が鳴る。

 コンドウが受話器を取る。

コンドウ 何!! ……そうか、わかった。……お前も一人でくるんだぞ。

 コンドウは受話器を置く。

 タバコを一服つける。

 ルーレットの玉を放る。

 意を決して、カジノの壁の奥に吊ってある、ラスベガスの絵に近づく。

 絵をずらすと、奥から隠し金庫が出てくる。

 金庫の中から、袋を出す。

 頑丈に包んである。

 絵を元に戻し、出ようとする。

関口の声 そんなところに隠してあるんじゃ、わからないはずだ。

 コンドウが声の主を確認しようと振り返る。

 物陰から関口が出てくる。

関口 それをこっちに貰おう。(短刀を突きつけている)

コンドウ なるほど。そういう図面か。

関口 早く渡せ。(脅す)

コンドウ 無茶も大概にしろ。

関口 一緒に無茶をやらないかと、俺を誘ったのはあんただったな。俺はあんたのためにどれほど無茶をやったかわからねえ。

 コンドウはマイクロ・フィルムをルーレット卓に置く。

コンドウ 俺を倒して取りやがれ。

 コンドウと関口は睨み合う。

 関口がコンドウに切りつける刹那――。

朱雀 (入ってきて)コンドウさん! 綾花が!!

コンドウ 朱雀!

関口 丁度よかった。この間の借りも返させて貰う。

 傍にあったモップで、朱雀は関口に相対す。

 関口と朱雀の殺陣。

 朱雀が最初優勢に見えるが、モップを叩き落とされてしまう。

 朱雀は壁際に追い詰められる。

 関口に切られるか――!

 そこに山村が現れる。

山村 関口さん。ネガは?

関口 そこだ。(卓上)

山村 確めさせてもらいます。

関口 間違いねえ。コンドウはその金庫から出したんだ。

 山村は中を検めようとする。

 関口に一瞬の隙――。

 朱雀は関口の短刀を手で叩き落し――。

朱雀 手前!

 朱雀は山村が持つネガを取り返そうとする。

朱雀 それを渡すわけにはいかない。

関口 しゃしゃり出るんじゃねえ!

 関口は短刀で朱雀を突こうとする。

 間一髪、朱雀の前に立ちはだかるコンドウ。

 関口の刀は、コンドウの体を刺してしまう。

朱雀 コンドウさん!

関口 コンドウさん!

山村 (関口に)行くぞ。

 山村はネガを持ち去ってしまう。

 だが、関口は動けない。

コンドウ 関口。

 関口と朱雀はコンドウを抱き起こす。

コンドウ 関口。お前には随分助けて貰ったなあ。礼をいい忘れていた。

関口 コンドウさん。俺は……。俺は……。

コンドウ いいんだ。この場にいちゃいけない。

 関口は店を出る。

朱雀 (コンドウを抱きかかえ、背中を壁に付ける)コンドウさん。しっかりするんだ。今、医者を呼ぶ。(電話を掛けようとする)

コンドウ 朱雀。……もういい。こんな時間に、闇市に往診しようなんて医者がいるはずない。

朱雀 そんなこといっても……。コンドウさん、どうしてネガを持ち出したんだ。

コンドウ 綾花が佐伯にさらわれた。

朱雀 何!

コンドウ 盗まれたものは贋物だ。

朱雀 えっ?

コンドウ 本物はラスベガス……。(こと切れる)

朱雀 コンドウさん。コンドウさん。コンドウさん! コンドウさん!! ……ラスベガス?

 朱雀は佇んで考える。

 ラスベガスの絵に近づく。

 絵を裏返す。

 額を開ける。中から、袋が出てくる。ネガが出てくる。

 金庫の中にあった拡大鏡で、ネガを見る。

朱雀 コンドウさん。あんたのいうとおりだった。(抱き抱える)すまなかった。

 朱雀はコンドウの銃を手にとる。

ルーレットの球を見て、ポケットにしまう。

意を決して出て行く。

 お夏が見ていた。

                                  暗転

 内務省。

 同じく深夜。

 部屋の隅に綾花が猿轡をされて、後ろ手に縛られている。

 薫が忍び込んでくる。綾花の猿轡を外す。

 綾花が話し掛けようとする。

薫 しっ!

綾花 ……。

薫 (自分と同じ香水の匂いがする)あなたね……。早く逃げるのよ。

 薫は綾花の縄を解こうとする。

 佐伯が入ってくる。

佐伯 長谷。君は何をしているんだ。

薫 局長。それはこちらが聞きたいくらいです。何をたくらんでいるんですか。

 佐伯は薫を後ろ手に取り、柔道の技で失神させる。薫はその場で気を失う。 

山村 (入ってきて)只今帰りました。

佐伯 ネガは――。

山村 ここに。(机の上に置く)

 佐伯は中を開け、拡大鏡で調べる。

佐伯 贋物だ。

山村 えっ! コンドウは間違いなく、これを持って出ようとしたんです。

佐伯 馬鹿野郎! 奴の芝居だ!

 電話が鳴る。

佐伯 (受話器を取り)はい。佐伯です。……何? 米国国防総省が上野に踏み込む。容疑は? 特任捜査官が調査したということですか? ガセです。そんな動きはなかった。……わかりました。(受話器を置く)山村君。明日の明け方、米軍が上野に踏み込む。GHQではない。第八軍、米国国防総省から派遣された部隊だ。

山村 ……。 

佐伯 今から上野の闇市に火を放つ。火事に見せかけるんだ。急げ。

山村 はい。

                                    暗転

前景と同じ場――。

薫が倒れている。朱雀が入ってくる。

朱雀 薫。(薫を抱き起こし、背中に回り活を入れる)

 薫は目を醒ます。

朱雀 大丈夫か。

薫 ……ええ。

朱雀 佐伯はどこだ。

薫 恐らく上野よ。

朱雀 綾花は一緒か。

薫 綾花?

朱雀 フェニックスのディーラーだ。

薫 佐伯さんと一緒よ。……あの人ね。

朱雀 ……。

薫 私と同じ香水を付けている人――。早くあの人のところに行ってあげて。

朱雀 俺と一緒に来ないか。

薫 私はここに残って、私の仕事をやる。あなたとは別の道を歩くことになる。

朱雀 ……こんなお堅いところで出世しようなんて、元々柄じゃなかったんだな。今となっては楽しくもない夢だったが、昔の俺には輝いて見えた。

 朱雀は走り去る。

 佇んで見送る薫。涙がこぼれると、毅然とした態度が崩れる。

                                   暗転

 フェニックス。

 闇の中、天を突くような火が燃え上がる。

 ノガミの住人の悲鳴。「火事だ」「火を消せ」「逃げろ」

 逃げ惑う人々。

 佐伯と山村が立っている。横に縛られた綾花。

山村 闇市ごとネガも燃えていきますね。

佐伯 ああ。他に方法がなかったんだ。仕方がない。綾花を店の中に放り込む。火事に巻き込まれて焼死したことにする。

 スミ子とお時が出てくる。

スミ子 あんたたち、早く逃げないと危ないよ。

お時 綾花。綾花やないの?

スミ子 綾花!

 山村はナイフを出す。

スミ子 この!!

お時 姉さん、逃げるんだ!(スミ子を引っ張って逃げる)

佐伯 (山村に目で合図)……。

 山村はスミ子とお時を追う。

 佐伯はナイフを、綾花に突きつける。

佐伯 さあ、歩くんだ!

 佐伯の前に朱雀が立ちはだかる。

朱雀 佐伯。綾花をこっちによこせ。

佐伯 朱雀……。

 朱雀は銃を持っている。

 佐伯はナイフを綾花に突きつけている。

 こう着状態――。

朱雀 お前が欲しいのはこれだろう。(ネガを見せる)火を付けたって、燃えないぞ。俺が持っているんだからな。

佐伯 この女とそのネガを交換だ。

朱雀 ここは博奕場だ。博奕で決めねえか。勝ったほうの両取りだ。

佐伯 ……いいだろう。種目はこれだ。(コインを出す)

朱雀 コイン・トスか。

佐伯 どちらが振る。

朱雀 腕のいいディーラーがそこにいる。

佐伯 面白い。

 佐伯は手の縄を解く。

 朱雀は銃を床に置く。佐伯もナイフを置く。

朱雀 検める。

 佐伯はコインを朱雀に渡す。朱雀はコインを検めて、綾花に渡す。

 綾花はコインを投げ上げる。手の甲で受け止める。

佐伯 裏だ。

朱雀 表。

 綾花はコインを示す。

朱雀 表だ。俺の勝ちだ!!

佐伯 クッ!

 佐伯はネガと朱雀の銃を拾い構える。

佐伯 戦の最中に銃を体から放す馬鹿がどこにいる。

 朱雀は綾花の前に立ち、綾花の盾になる。

 佐伯は引き金を引き絞る。

 だが、弾は出ない。

朱雀 俺は銃に弾を込めない主義なんだ。

 銃の発射される音――。

 佐伯の肩が打ち抜かれる。

 MPが大挙して現れる。

 先頭に立っているのは、お夏である。

綾花 お夏。

バラード(お夏) 昨日までは、確かにその名前でよかった。だが、今はアメリカ第八軍司令官補・バラード少佐と呼んでくれ。(ネガを検めて)確かにこれだ。内務省とGHQの悪事を暴く証拠は整った。マッカーサーの親父、国防総省の目の届かないところで、あこぎな商売をやっていやがるな。(別のネガを見て)なるほど。日本が独立した暁には、公営賭博の権利を佐伯が一手に収めるってわけか。(部下に)内務省の二人を連行しろ。

 部下は佐伯と朱雀に手錠をかける。

朱雀 (ルーレットの球を出す)……(綾花に渡す)もう、落とすなよ。

綾花 (受け取り)うん……。

山村も手錠をされて、連れてこられる。

 消防自動車の音が近づいてくる。

                                    暗転

 数日後――。

 フェニックスがあった場所。

 周囲は焼け焦げだらけである。

 真ん中で、綾花、リンコ、ともえ、タマ公がルーレットの台を磨いている。

タマ公 奇跡的だな。これだけ焼け残ったなんて。

ともえ でも、これさえあれば、また商売ができる。日本中から客が集まるさ。

綾花 だといいけど。景品次第だね。人が欲しがるものがうーんと集まるといいんだけど。

 シー坊とパインが手に一杯の石鹸を持ってくる。

シー坊 姉さんたち、服が汚れているぜ。

パイン ちゃんと石鹸で洗いなよ。

ともえ あんた(シー坊)のが花玉(かだま)石鹸で。

リンコ あんた(パイン)のがミツマ石鹸か。

シー坊 売れるぜ。ブレンド商品だからな。

パイン それをいうならブランド商品だ。

シー坊 そうともいう。

 勘次と京が一輪車を押してやってくる。

京 そこよ。

勘次 ああ、いたいた。見ろ。ラッキー・ストライクだ。俺の偽札で、横須賀のネイビーから買ってきたんだ。

京 この人の偽札、横須賀ではまだフリーパスだったのよ。私が交渉したのよ。この人に任せると商売下手だから。

勘次 下手なんだ。

京 この人私がいないと駄目だから。

勘次 俺、こいつがいないと駄目だから。

ともえ のろけすぎだ。

タマ公 すげえいい匂い。

ともえ タバコ吸いにはたまらないわ。ピカピカのラッキー・ストライクだもの。

 福田、ポッチン、アーサーもリヤカーをひいてやって来る。

福田 見てくれ。芋だ。千葉県特産の芋だぞ。

ポッチン それから、(箱を見せて)サッカリンに。

アーサー ズルチンだ。

ポッチン 甘いぞ。

福田 最初は砂糖なしだが、サッカリンでも十分高級品っす。名物の芋アメがなくっちゃ、アメ横にならねえっす。

 そこに織田とスミ子、お時が南京袋を抱えてくる。袋にはローマ字が記されている。

織田 いいや、アメ芋がなくても、ここはアメ横ですぞ。

スミ子 進駐軍横流しのPモノだ。

織田 仮に芋アメ横丁ではなくなっても、これがあればアメリカ横町、つまりアメ横なんですな。

タマ公 なんだこれ。(袋の中を見る)

 タマ公が出すと、ジーンズである。

織田 GIのパンツを大量に仕入れてきたんですよ。

お時 アメリカかぶれが欲しがるよ。

スミ子 若い奴ならみんな履きたがるぜ。

お時 GIパンツって売り出すんだ。

織田 GIパンツでは,若者の心を捉えることはできませんぞ。名前が長すぎる。そうだ。GIパンツをつづめて、ジーパンとして売り出したら、どうでしょう。

 タマ公が一着穿いている。

タマ公 似合うかい?

勘次 ジーパンか。なんだかコンドウの親父が穿きたがりそうなズボンだな。

福田 フェニックスは燃えてなくなったが、ノガミは不滅だ。俺たちは、いつまでも自分の売りたいものを売って、すき放題に博奕で稼ごう。

勘次 そうだ。

 亀鉄が甕を抱えてくる。

亀鉄 カストリ作ってきたぞ。景気付けようぜ。

 みんな、柄杓で掬って酒を呑む。

 満足そうだ。

ともえ お酒といえば、昔は関口さんが仕入れてきたものだけどね。

リンコ 関口さん、どこに行ったのかしら。

勘次 貨物船で密航して、アメリカに渡るらしいぜ。

スミ子 やっぱり行っちまっうんだねえ。アメリカ。

お時 綾花は?

綾花 私はもう少し腕を磨いてからね。よし、景気がついたところで博奕だ。放るよ。張って。

一同 よし来た。

 ノガミの衆はみんなチップを手にする。

綾花 プレイス ユア ベッド。

 玉がウィールを回り始める。

 奥から声が聞こえる。

声 赤の8。

綾花 朱雀。

 朱雀出てきて、札束を卓に置く。

朱雀 全財産。一点張りだ。

球は静かにウィールを回っている。

史実では、上野の闇市「近藤マーケット」が火事で焼失したのは、一九四八年のことである。火事の原因はわかっていない。闇市の掃討を望んでいた、GHQの仕業という見方が強い。上野・アメ横は1945年の東京大空襲、1948年の大火事と二度も焼け野が原になりながら、しぶとく復興を遂げた。上野・アメ横は2002年4月現在も、国籍を問わず色んな出自を持つ商人が軒を並べて、活気のある商売を続けている。

                                    幕