ガジャボイ追想

私の手塚治虫

                              さい ふうめい

 

   開演前は、手塚治虫のアニメ作品のテーマ音楽が流れている。

   作品の時代背景が古いので、『鉄腕アトム』や『リボンの騎士』など、昔の作品のテーマ音楽が似合うだろう。

   舞台隅に、斉田風太が出てくる。

斉田 こんにちは。ようこそいらっしゃいました。私は斉田風太と申します。今日は私が尊敬するマンガ家・手塚治虫先生のことをお話ししたいと思います。私はずっと芝居の台本を書いてきました。ここ10年ほどはマンガの原作もやっています。私が手塚治虫先生に興味を持ったのは、彼が学生時代、演劇をやり、社会に出てからもプロの劇団で役者をやっていたことを知ったからです。私は、演劇で学んだことをマンガに取り入れ、マンガで学んだことを演劇にどんどん持ち込みました。おかげで自分流のスタイルを確立できたように思います。手塚先生は、私と同じように、マンガと演劇の両方をやったんだ。それだけで大好きになりました。手塚先生は、日本のストーリーマンガを確立した人です。現在、日本の出版物の3分の1がマンガです。そして、アニメ制作にも大きく貢献した人です。今世界で放映されているTVアニメのうち60%が日本製です。そのほとんどが、ストーリーマンガを原作にしています。今のマンガとアニメは、世界中の子供達を、魅了しています。マンガとアニメ、その両方に大きな足跡を残した手塚先生に、今日は舞台の形で迫ってみようと思います。彼が作ったストーリーマンガとアニメ。どれだけ迫れるか自信はありませんが、私がここ数年間で考えた手塚治虫像を、フィクションの形で見ていただこうと思います。実話ではありませんが、どのようにストーリーマンガが生まれたのか、手塚アニメが生まれたのか、私なりに真実に迫りたいと思います。

 まず最初の舞台は、一九四五年、敗戦直後の大阪です。ここは「まんがマン」という貸本マンガの出版社です。

 1幕

一九四五年、秋――。

 「まんがマン」の事務所。といっても、大出時造の自宅である。

 舞台端にある、机に向かい岡谷一郎が必死でマンガを描いている。隣で、岡谷の書いた原稿に背景を入れているのが遠藤誠である。

岡谷 遠藤君、ダメじゃないか。ここ。ここは杉木立が並んで、森の深い場所だってことが示されるコマなんやから。杉の木の本数が少なすぎて、まるで街路樹、街中みたいに見えるよ。

遠藤 すいません、岡谷先生。手を抜いたわけじゃ、ないんですが。

岡谷 君はデッサンの勉強してへんから、時間がかかるんや。ちゃんと勉強したまえ。

 舞台奥から、時造が、蒸しイモを持って、入ってくる。

時造 岡谷先生、お願いしますよ。先生の新作を、日本中の子供達が、首を長くして待っているんですから。

岡谷 大出さん、そんなにせかさんでくれよ。いい作品は、時間をかけてじっくり造るものなんだ。

時造 わかっていますよ、先生。でも、商売柄マンガ家の先生をせっつくのが、癖になっているんですよ。さあ、これ召し上がってください。

岡谷 おおきに。こんな大きなイモ、どこで手に入れるんです? この食糧難の時代に、マンガを描いてちゃんと食べられるのは、大出さんのおかげです。

遠藤 いただきます。

岡谷 遠藤君。君は手が早いね。

遠藤 そうですか? でも、その分、マンガ描くの遅いですから。

岡谷 自慢にならんじゃないか。

時造 さあ、先生も召し上がってください。

岡谷 じゃあ、遠慮なくいただきますよ。(ほお張り)あまい。これで精をつけて、いいマンガどんどん描かなくちゃ。

時蔵 そうですよ。おかげ先生の新作でドーンと当てて、まんがマンの事務所を、私の自宅じゃなくて、鉄筋の洒落たビルにしたいもんです。

遠藤 期待してくださいよ。岡谷先生の新作、ターザンの大冒険は、迫力満点の絵です。絶対子供達に支持されます。子供は、文字ではなくて、素晴らしい絵をマンガに求めているんです。その点、岡谷先生は、美大できちんとデッサンの勉強をしていらっしゃる。

時造 岡谷先生は、特に日本の伝統である墨絵を勉強なさっていらっしゃるから。

遠藤 そう。絵に独特の風合いがあるんです。必ず、ヒットしますよ。

時蔵 期待しています。

 玄関に、政美、文子、真知子の三人が立っている。

真知子 あのう。

文子 こちら、まんがマンの事務所ですか?

政美 やっぱり、やめようよ。

真知子 何よ。ここまで来たんだから。

時造 どちらさまですか?

文子 こちらで岡谷一郎先生が、マンガを執筆中だと聞いたんですが。

時造 君たちは、岡谷先生のファンかい?

文子 この娘(政美)がそうなんです。

政美 違います。

真知子 照れないでよ。先生の写真、欲しいって。

政美 そんなこといってません。

時造 先生は忙しいさかいに、そんな要求には応じられないね。申し訳ないけど、お引取り願うほかないな。

岡谷 (出てきて)大出さん、そんな固いこと言わんでもいいやないか。

時造 岡谷先生。

政美 ええ? 岡谷先生? (途端に豹変し、前に出てきて)私、五十嵐政美と申します。先生の代表作「ターザンの密林作戦」、私、宝物にしています。あの、サインしてください。(「ターザンの密林作戦」を出す)

文子 さっきまでと、ぜんぜん違うもの。

政美 乙女心よ。

文子 欲の皮が剥がれただけだと思うけどね。

時造 先生は、今忙しいんだから。

岡谷 いいじゃないか。ファンサービスで読者が増えるなら、それもマンガ家の仕事だよ。

政美 いいのん? (感極まって、後ろにひっくり返りそうになる)

 文子と真知子、慌てて背中を支える。

文子 世話焼けるやだから。

岡谷 遠藤君、筆を持ってきてくれないか。

遠藤 はい。

文子 岡谷先生。どうやったら、マンガ家になれるんです?

岡谷 どうやったらって。

文子 この娘(真知子)マンガ家を目指しているんです。

岡谷 君が?

真知子 私、女流マンガ家を目指しているんです。

遠藤 (岡谷に筆を渡し)君が? 駄目駄目。

文子 そんな。真知子の絵を見もしないでいうんですか?

遠藤 だって、女の子はマンガ読まないんだもの。読者がいないんだから、女流マンガ家は世の中に要らないんだよ。

文子 でも、うちらはマンガが大好きや。

遠藤 君らが特別なんや。

政美 うちら特別ですか?(怖そうに)

遠藤 いや、だから特別に可愛いって――。

時造 遠藤君の意見は間違ってはいないよ。女性は、小説仕立ての読み物が好きだからね。絵を描くんだったら、中原淳一先生のような、美人画の挿絵で勝負するほかないんじゃないかな。

岡谷 女の子はマンガを読まないものなんだよ。

文子 女の子がマンガを読まないのは、絵が古臭いからだと思います。女の子は、流行に敏感です。今の絵で描いたマンガを読みたいんです。

 岡谷はむっとしている。

時造 おいおい、それは岡谷先生に対する当てつけかい? 先生を前にして失礼じゃないか。

岡谷 まあいいさ。ほら、できた。(イラスト入りのサインを政美に渡す)

政美 ありがとうございます。私、一生の宝物にします。

時造 岡谷先生の次回作も必ず買ってくれよ。

遠藤 「ターザンの大冒険」――。タイトル、忘れないでくれよ。

政美 はい。

真知子 岡谷先生、私の描いたマンガ見ていただけませんか?

時造 先生は忙しいんだから。

岡谷 いいよ。見よう。

真知子 これなんです。

 岡谷は、真知子が渡した絵を見始める。

岡谷 ほのぼのとした絵だね。

真知子 駄目ですか?

岡谷 パンチが足りないんだ。マンガは風刺が命なんだ。現代を生きる人々に、もっと別の考え方、違う生き方があるんじゃないか、と提案するような訴えが大切なんだ。

真知子 ……。

遠藤 違うかい?

真知子 私は読む人の気持ちが温かくなるようなマンガを描きたいんです。生活する人間の機微を描いて、人間ってどじだなあとか、おっちょこちょいだけどいい人っているんだよなあ、とか、そんな気持ちになれるようなマンガを描きたいんです。風刺はなくとも、読む人が、クスクスと笑えるようなユーモアのあるマンガを描きたいんです。

岡谷 そんなマンガのために、お金を出すような人がいるかね。

遠藤 いないと思うよ。クスクスってマンガは、新聞の端っこにちょこんと載っている分にはいいけど、お金を払ってまでそれを買おうって人はいないよ。

岡谷 遠藤君、いいことをいうね。

時造 じゃあ、君たちはそろそろ引き取ってくれないかな。岡谷先生は、執筆にかからなくちゃならないから。

岡谷 そうだな。じゃあ、私が駅まで送ろうか。

時造 先生。

岡谷 いいじゃないか。私も朝から描き詰めで、少し気分転換したかったんだ。なあ、遠藤君、運動がてら駅まで歩こうじゃないか。

遠藤 そうですね。タバコも切れたことだし。

 岡谷と沿道は下駄を履き始める。

時造 なるべく早く帰ってきてくださいよ。

 岡谷たちが出て行くと、奥から、時造の妻・ミヨが出てくる。ミヨは怒っている。

ミヨ あなた。

時造 ああ、ミヨか。

ミヨ ああ、ミヨか、じゃありませんよ。(請求書を出す)どうするんです、これ。印刷屋さんからの請求。4500円。勤め人三か月分の給料ですよ。うちのどこをひっくり返したら、こんな大金が出てくるんですか。

時造 いや……。だから……。

ミヨ 私、もう父にお金貸して、っていえないわ。

時造 すまない。もう少し辛抱してくれないか。岡谷先生の新作・ターザンの大冒険がもうちょっとで完成なんだ。これが出れば大ヒット間違いなし。まんがマンの経済も立ち直るさ。

ミヨ 信じません。あなた、いつもそういうんだもの。岡谷先生の前作・密林作戦だって返本の山じゃありませんか。

時造 頼む。そのことだけは、岡谷先生にいわないでくれよ。

ミヨ はっきりいって、大阪の赤本マンガは子どもに飽きられています。東京の大手出版社が出す、垢抜けしたマンガを読んで、目が肥えています。うちで出すマンガなんか、もう売れません。

時造 今度は売れるって。

ミヨ 絶対マンガなんか、出させません。

時造 そんな……。

ミヨ だめ。出しませんからね。

 玄関のところにガジャボイが立っている。

 ガジャボイは学生服を着ている。

ガジャボイ ごめんください。

ミヨ お金なら、ありません。

時造 お前――。

ガジャボイ あのう。私の描いたマンガを出版していただきたいのですが。

ミヨ 余計だめです。

時造 (ガジャボイに)火に油を注がないでくださいよ。

ミヨ だめといったら、だめですからね。

時造 (ミヨに)ちょっと、ねえ、静かに。お客さんなんだから。(ガジャボイに)あなた、マンガ家の卵ですか?

ガジャボイ はい。手塚と申します。ですが――。

時造 ですが――?

ガジャボイ 友達は、みんなガジャボイと呼びます。

時造 ガジャボイ? どうして――。

ガジャボイ 髪の毛がガジャガジャのボーイだから。

時造 ガジャガジャのボーイで、ガジャボイ――。

ガジャボイ 変でしょうか?

時造 いやあ、面白い。ということは、君は面白いギャグマンガを描くのかな? (原稿を見る)

ガジャボイ SFマンガです。「ロスト・ワールド」という作品です。

 時造は、真剣な眼差しでページをめくる。時造は、新人マンガ家に、暖かい眼差しを送る編集者であることがわかる。

ガジャボイ どうでしょうか?

 ミヨは時造の後ろから、原稿を覗き込んでいる。

ミヨ だめ。見込みない。

ガジャボイ だめですか?

時造 こら、勝手なこといわない。(ガジャボイに)面白い。すごいよ、君。なんてモダンなマンガだ。君は美大の学生かい?

ガジャボイ いえ、大阪大学の医学部に通っています。

時造 医学生? 医学生がマンガをねえ――。じゃあ、絵を習っているわけじゃないんだ。

ガジャボイ はい。

ミヨ 医学生だったら、素直に医者になったら、いいやん。

ガジャボイ 僕は子どもの頃から、マンガ家に憧れていたんです。マンガが大好きで大好きで。

時造 売れる。君なら売れるよ。君の若さで、これだけ長い物語が描けるなんて、まれなことだ。

 手塚は「あーっ」と声を発しつつ、へたり込む。

ミヨ あらら、どうしたの?

ガジャボイ あーっ、ほっとした。僕は、けちょんけちょんにけなされるんやないかと、戦々恐々でした。

 ガジャボイはしゃっくりが始まる。

ミヨ 今度はしゃっくり?

ガジャボイ 僕、緊張すると、しゃっくりが止まらなくなるんです。

時造 ガジャボイ、わいのいうとおりにするんや。わいが、ナスの色何色? って聞くから、ガジャボイは、紫色って答えるんや。

ガジャボイ そんなんで、本当に止まるんですか?

時造 騙された積りになってやってみなさい。ナスの色、何色?

ガジャボイ 紫色!

 ガジャボイのしゃっくりが止まっている。

ガジャボイ ほんまや。止まっている。不思議や。

 岡谷と遠藤が戻ってくる。

岡谷 今、戻りましたよ。

遠藤 ただ今。

岡谷 いやあ、最近の若い人には珍しく、好奇心旺盛だったなあ。道を歩いている間中、私にマンガに関する質問が矢継ぎ早に出てくるンや。(ガジャボイを見て)こちらは?

時造 ガジャボイちゅう子で――。

岡谷 ガジャボイ?

ガジャボイ いや、それはあだ名で――。

遠藤 そのくらいわかるわ。つまり、何かい? 頭がガジャガジャやから、ガジャボイか?

ガジャボイ そうなんです。

遠藤 (こける)ほんまかいな。嘘やろ?

ガジャボイ ほんまです。

遠藤 普通に冗談いうて、当たるかいな。

時造 マンガ家志望で、今日は作品を持ってきたんですよ。

岡谷 ちょっと、見せてみい。

時造 これ。(といって渡す)

 岡谷は、ガジャボイの作品を読む。

ガジャボイ 僕は、てっきりけなされるとばかり思っていたんですよ。「ひどいな、基本がまるでできていない」とか、ぼろくそにいわれるとばかり――。

岡谷 ひどいな、マンガの基本がまるでできていない。

ガジャボイ そうやろ? そうこなくっちゃ。(と、気づき)えっ?(時造に)こちらは?

時造 岡谷一郎先生。

ガジャボイ 岡谷? ひょっとして、ターザンの密林旅行をお描きになった、あの岡谷先生?

遠藤 ひょっとせんでも、あの岡谷先生や。

岡谷 ガジャボイ君ねえ。君の絵はデッサンがなってない。絵心ちゅうもんが、まるでないんや。

ガジャボイ (時造を見ている)……。

 岡谷は、時造の表情の変化に気づく。

時造 確かに誉めましたで。岡谷先生。私はこう感じましたんや。ガジャボイの「ロスト・ワールド」には、これまでのマンガになかったモダンな雰囲気がおますやろ?

岡谷 こんなものを誉めたのか、君は! 世も末だ。これは子供の落書きに毛の生えたよなものだ。筆の使い方もろくすっぽ知らない。

時造 ペン書きでも、面白いものは面白いですよ。

岡谷 ほう。君は私に意見するのか? 「まんがマン」は大阪の赤本出版社の中では、良心的な会社だとばかり思っていたよ。今日の今日まで。

時造 今日までも、今日からも「まんがマン」はずうっと良心的な出版社ですよ。

岡谷 こんなものをいいというのなら、絵を真剣に勉強せんでもいいということになるな。マンガ家になろうと思う若者が、真面目に絵を勉強しようっちゅう気がのうなるで。

時造 のうなりません。絵のいいマンガもいいし、物語の面白いまんがもいい。子供たちは、ちゃんと見抜いて、読みますがな。

岡谷 わかった。もう、君のところには描かん。

時造 先生、そんな――。

岡谷 じゃあ、ガジャボイのマンガと、私のマンガと、君はどっちをとるんだ。

時造 どっちいうても、決められますかいな。

岡谷 むしゃくしゃしてきた。わしは帰る。

 岡谷は、下駄を履き始める。

岡谷 遠藤君。道具を持ってくれたまえ。……もう、こんなところ、一秒でも居たくない。

(足早に去る)

ガジャボイ いいんですか?

時造 いいんだ。熱血の先生だがね、頭が冷えたら、そのうち戻ってくるさ。

ガジャボイ 岡谷先生って、ヤカンみたいな人ですね。すぐ、熱くなって。

時造 岡谷先生は、マンガの将来を憂いていらっしゃるんだ。

遠藤 今は子供が娯楽に飢えている。だから、どんなひどいマンガでも、売れてしまう。

時造 こんな時こそ、良心的なマンガを売るべきだっていう考えなんや。

ガジャボイ ……やっぱり、僕のマンガは駄目なんですね。今日は、誉められたり、けなされたり、激動の一日や。

                                     明転

斉田 その頃の日本の少年マンガというのは、こんな感じでした。(ここから後は、スライドを壁に映写しながら進む)明治以降、マンガは知識人が描くものと決まっていました。風刺マンガや政治マンガが載ることで新聞は売り上げを伸ばしていたのです。マンガ家は、美大を出たインテリも多数いて、肩書きは、主にジャーナリストだったのです。こんな感じのマンガです。筆で描いてこそ、重々しさが伝わります。そのマンガのスタイルを変えたのが、大城のぼるや田河水泡の子ども向けマンガです。大城のぼるの「火星博士」。田河水泡の「のらくろ」は、子ども達を魅了しました。こういうマンガ家は、デッサンを勉強しないで出た作家です。岡谷先生たちから見ると、子供騙しに見えたのでしょう。ところが、戦争直後は、子供の読み物がまるでなかったので、どんなものでも作れば、売れるという時代でした。構図も危なっかしいし、物語のつじつまも合っていないものが、たくさん駄菓子屋で売られていたのです。岡谷先生がガジャボイの作品を見て、怒り出したのも無理はありません。

 さて、ガジャボイの作品の新しい可能性を感じた大出さんは、大阪貸し本マンガのもう一人の実力者・坂本七男先生にガジャボイの作品を見せたのでした。

 舞台は、同じ「まんがマン」――。

 ガジャボイのマンガを坂本が読んでいる。

 心配そうに見ている、ガジャボイと時造。

ガジャボイ 大丈夫やろか?

時造 坂本さんは、進駐軍のキャンプで、アメリカ兵の似顔絵を描いとる人なんや。アメリカンコミックスで、マンガを勉強した人やから、絶対ガジャボイの書いたマンガ、気に入らはるやろ。

坂本 これ書いたのは、君か? ユニークなマンガ描いたんやな。このマンガ、どうして思い付いたんや?

ガジャボイ 僕は、これまでのマンガに限界を感じています。確かに、大城のぼる先生の火星博士や田河水泡先生ののらくろは面白い。だけど、みんな平面的な視点で描かれたものばかりで、動きが少ない。これでは迫力も出ない上に、登場人物の心理描写もできません。僕は、映画の手法取り入れたら、その限界を越えることができると思うたんです。

坂本 なるほど、映画か――。だが、どうして、マンガでSFを描こうと思ったんや?

ガジャボイ 僕は、日常生活を題材にとったマンガでは、子供を夢の世界に誘うことができないと思うんです。日本は戦争に負けて、食べるものもろくにありません。厳しい現実を忘れるためにも、空想の世界で羽ばたけるようなマンガが必要です。そのためにはSFは最適です。

時造 ガジャボイ。この「ロストワールド」は、最後悲劇で終わるわな。マンガは普通、落語のように落ちのついた話が主流で、ラストはハッピーエンドと相場が決まっとる。なんて悲劇で終わるの?

ガジャボイ 僕は、これからのマンガは、面白おかしいものばかりでなくてもいいと思うんや。人間の悲しみや怒り憎しみもテーマとして、どんどん取いれたいんや。

坂本 いやあ、面白い。君のような、若者に出合えるとは思わなかった。君、私と組んでマンガを描かないか。わしの原案・構成、君の絵で長編マンガを描いてみようじゃないか。

ガジャボイ 本当ですか?

坂本 本当だとも。君の力があったら、絶対良いものができる。

時造 坂本先生、本当ですか? 大丈夫なんですか。じゃそのマンガ、絶対うちで出させてもらいますよ。約束でっせ。

坂本 腹案はあるんや。タイトルは『新宝島』や。スチーブンソンの『宝島』をもとに、ターザンやロビンソン・クルーソーまで登場する冒険譚。

時造 宝島に、ターザンが。面白そうでんな。

坂本 奇想天外なストーリーやで。子供はワクワクするに決まってる。二百ページ近い長編になるで。早速、家に帰って、構成を作ってくるわ。

 坂本は、勇んで家に帰っていく。

ガジャボイ 大出さん、まるで夢のようです。僕の描いたマンガが、本になるやなんて。

時造 坂本先生が太鼓判を押したから、大丈夫。イヤー、これでまんがマンも息を吹き返すことになるなぁ。楽しみや。

 部屋の奥から、田野家万作が出てくる。

 マンサクは、酔っ払っている。酒瓶も抱えている。

万作 大出さん、すっかりごちそうになってしまいました。

時造 万作君。

万作2時間ほど前にきたら留守だったもので、上がらせてもらいました。勝手知ったる他人の家、というわけで勝手に一杯やらせていただきました。

時造 困るなあ。

万作 まあ、いいやないの。堅いこといわんでも。

時造 いいわけあるかい。それは泥棒やで。

万作 そんな、人聞きの悪い。

時造 ほんまに泥棒やないの。

万作 これは、前借りや。で、どうでしょう。酒代ちゅうたらなんやけども、ここはわいに1冊、赤本を書かせてもらえんやろうか。

時造 だめだめ。君に注文すると、やっつけ仕事になってしまうからな。うちで出すマンガは、心のこもったものでないと。

万作 大丈夫。今度こそ、心を込めてマンガ描きますさかいに。

時造 嘘言わんといって。万作君、君はそれ繰り返して大阪中の赤本マンガ出版社から、締め出しを食うとるやろうが。

万作 なにを!

ガジャボイ (割って入る)ちょっと待ってください。暴力はいけませんよ。

万作 この人は?

時造 マンガ家の卵の、ガジャボイや。

万作 ガジャボイ? けったいな名前やな。

時造 こういう男になったらいかんで。

 奥から、ミヨが出てくる。

ミヨ あんた。ちょっと、来てくれます。

 ミヨは怒っている。

時造 万作君、エライことしてくれたな。ミヨは、岡山の造り酒屋で娘や。この小さな出版社が、青息吐息でも続いとるのは、ミヨの両親のおかげや。君が呑んだのは、今年の新酒や。わざわざ岡山から送ってくれはったものや。ミヨが、今夜、僕の誕生日にカンしてくれようと、とっておいたものや。

万作 これはこれは、失礼しました。ご主人の誕生日を、先に祝ってしまいました。堪忍しとくなはれ。

時造 わかったわかった。まあ、なあ、悪かった。ここでは、何やから。

 時造は、ミヨの背中を押しつつ奥に入って行く。

 ミヨは押されながら、「あんた、今度という今度は許さへんからねえ。借金は馬に食わすほど作る。ごんたくれは、遠慮なしにあがっては、お父ちゃんが丹精込めた酒をかっくらう。もう、いやや。あんたは子どもに夢を与えるっちゅうて、うちの夢、どんどん奪っているやないの!」などといいつつ、去っていく。

 ガジャボイは、しゃっくりが始まる。

万作 なんや、しゃっくりかいな。

ガジャボイ 僕、緊張するとしゃっくり出ますのや。

万作 そういう時は、こうやるんや。わいが、菜の花の色、何色? と、聞いたら、大きい声で「黄色」と答えるんや。

ガジャボイ あの、それナスの色やないんですか?

万作 余計なこと、いわんでいい。いくで。菜の花の色、何色?

ガジャボイ 黄色!

 ガジャボイは、しゃっくりが止まっている。

ガジャボイ ほんまや。止まった。

ガジャボイ追想    幕前十ページ

 

斉田 ワンダープロは、日本のキャラクタービジネスの魁でもありました。アトムを先鞭として、アニメは版権収入で制作費の赤字を補填するようになりました。この物語では、相田さんのアイデアということにしましたが、制作費が安くても、キャラクターで補填すれば成算があると見込んだのは、ガボさんでした。ストーリー、ドラマ性を重視し、リミテッドアニメ、バンクシステムなどを駆使し、マーチャンダイジング方式で収入を得るという考え方は、今でも日本のアニメの主流ですが、その方向性は国産第一号のアトムの時から始まっていたのです。

 とはいえ、ガボさんが経営者失格なのは誰の目にも明らかでした。相田さんは、経営者向きではありませんから、社長は、算盤勘定のうまい、杉井さんに変わりました。

 さて、ガボさんには、ワンダープロの経営だけでなく、もう一つの大きな困難が立ちはだかっていました。

 ワンダープロ――。

 ガボさんが、貴子、市朗と対座している。

ガボさん 少年マンデーの連載が打ち切りですか――。

貴子 栗村さん、米搗きバッタみたいに頭下げて帰られました。

ガボさん 何度も何度も、落としてしまいましたからね。編集長もさぞご立腹だったのでしょう。打ち切りも仕方ありません。少年マンデーは、劇画で伸してきた雑誌ですからね。私のマンガでは、人気もでないんです。

貴子 でも、栗村さんこうおっしゃってました。「僕は、ガボ先生にマンガらしいマンガを描いていただきたいんです。必ず、また原稿を頂きにあがりますよ」って。

ガボさん 編集者はみんなそういうさ。

貴子 栗村さんは、本気でそういったんです。

ガボさん 打ち切りは打ち切りだ。……毎月のように、打ち切りだな。

貴子 先生は忙しすぎるんです。少しは、仕事を減らしたらって、神様がアドバイスしているんですよ。

ガボさん 慰めて貰わなくていいんだ。(傍にあったマンガ雑誌を捲って)もう、僕のマンガは古いんだ。

市朗 そんなことはありません。

ガボさん いや、そうなんだ。(マンガを見せて)これも、これも、これも、これも……。みんな劇画ばかりが載っている。今や、読者は劇画しか求めていないんだ。

貴子 そんなことはありません。ガボ先生のマンガを読みたいファンはたくさんいます。

ガボさん 岩根山君。劇画のどこがいいんですか。確かにリアリティがあるのは認めましょう。でも、残酷な表現が過剰すぎます。血が、こんなに飛んだら、気の弱い子供は目をそむけてしまいませんか。(他の雑誌を示し)見てください。子ども向けの、エロ本すらでている始末です。僕のマンガは、このマンガより人気が下なんです。人気がなくて、打ち切りなんです。

市朗 今の若い人は、そういうマンガを読みたがるかもしれません。でも、昔からのマンガファンは違いますよ。

ガボさん いや、僕は昔からのファンだけを相手にしているマンガ家でとどまっていたくないんです。常に新しい読者を開拓するマンガ家でありたいんです。

 リコさんが入ってくる。

リコさん ガボ先生。お客様です。

ガボさん 誰だい?

リコさん 田野家さんとかおっしゃいました。

ガボさん 田野家さん?

 万作が立っている。

ガボさん 万作さん。

万作 ガジャボイ。久し振りやなあ。

ガボさん なつかしいなあ。万作さんが描いている「ヤングコミック」の「忍者三匹」、読んでますよ。人気じゃないですか。

万作 そうかい。ありがとう。今のわいがあるのんは、大阪のまんがマンでガジャボイに出会ったお陰や。わい、あれから、死に物狂いで絵の勉強したんや。

ガボさん いや、万作さんは最初から才能があったんですよ。

万作 いや、ガジャボイと出会っていなかったら、今のわいはない。それは間違いのないことや。その礼を言いたくて。今日はきたんや。

ガボさん 礼なんて。でも、大阪時代の友人に会えるなんて、嬉しいよ。駄菓子屋で売られている赤本を描いていた人間が、東京の大出版社で通用するマンガを描いているってのが、そもそも誇っていいことなんだ。

万作 わいは、大阪時代、時代の流れに乗れなくて、仕事がなくなったもんなあ。

 間――。

ガボさん 今は、僕が時代に取り残されているというのかい?

万作 いや、そういうているわけじゃ……。

ガボさん 万作さん、僕のマンガが、次々に打ち切りになっているって言うのを、編集さんに聞いてきたんだろう?

万作 ……ガジャボイ。食わず嫌いをせずに劇画を描いたらいい。ガジャボイの画力があったら、人気の劇画が必ず描けると思うんや。

ガボさん (怒っている)万作さん、あなたはそんなことをいうために、わざわざきたのかい?

リコさん ガボ先生。田野家さんは、悪気でいっているんじゃなくて――。

ガボさん 帰ってくれ。僕は、絶対に劇画なんか描くものか。僕はマンガ家なんだ。劇画家じゃないぞ。

万作 ガジャボイ。邪魔したな。(席を立つ)

 知代が立っている。

知代 田野家万作先生ですよね。

万作 はあ。

知代 私、万作先生の作品のファンです。「忍者三匹」は連載開始からずっと読んでいます。

万作 そりゃ、どうも――。

知代 先生のアシスタントにしていただけませんか?

リコさん 知代……。

万作 丁度アシスタントは、一人欲しいところだったんだ。だが、ここでは何だから。外で話さへんか。

知代 はい。

 万作と知代は、出て行く。

ガボさん 知代君、辞めてしまうな。

リコさん 彼女、前からマンガ家志望だったから――。

ガボさん マンガ家志望じゃなくて、劇画家志望だ。

 ガボさんも、いたたまれなくて、その場を離れる。

市朗 ガボさん、ショックだよなあ。

貴子 自分のアシスタントが、大嫌いな劇画をやりたいなんていいだすんだもの。

 外から、大出時造が入ってくる。

時造 あのう。

リコさん どちらさまですか?

時造 大阪の「まんがマン」という出版社の大出時造ともうします。

リコさん まんがマン――。ガボ先生から聞いています。『新宝島』を出した出版社ですね。

時造 はい。今日は、ガジャボイ、いや、ガボ先生に、うち向けのマンガを描いていただきたくて参上したんです。

市朗 失礼ですが、もう、ガボ先生は東京の大手出版社の漫画さえも、手が回らない状態です。大阪の赤本を描く余裕なんかないと思いますよ。

時造 それは、承知の上できましたんや。今、大阪の赤本出版社は、東京の大手出版社の面白い漫画作品に押されて、どこも青息吐息の状態ですのや。うちも同様で、倒産寸前の状態です。何とか、ガジャボイに一冊描いてもろうて、起死回生ができんもんかと、無理なお願いにきましたんや。

リコさん ガボさんには、まんがマンの大出さんにはお世話になったと、よく聞いています。何とか、説得できるといいですね。

貴子 リコさん……。(止める気持ちで)

 そこに栗原とガボさん、それに壁田が入ってくる。

 栗原と壁田は、ガボさんの連載が欲しくて、必死である。

 大出の、のんびりしたリズムと迫力が全然違う。

栗原 先生。先生がこの間おっしゃっていた、「三つ目が通る」というマンガ、あれ是非うちに下さい。絶対ヒットすると思うんです。アイデアがいいですよ。三つの目を持った種族の生き残りの男の子が主人公の話。眼鏡をかけて、その上の目は髪の毛で隠れている少年。いかにもいたずら小僧でマントをつけているって格好いいじゃないですか。先生特有の丸い線のタッチで描いてください。わが「少年マンデー」の中で、異彩を放つ作品になると思います。僕、必ず編集長を説得してみせます。

壁田 何を言っているんだ、栗原君。ガボ先生の次の連載マンガは、わが少年ベストに決まっているじゃないか。

栗原 壁田さん、先生に劇画を描いてくれなんて、おかしいですよ。

壁田 栗原君、聞き捨てならないね。私がいつ、ガボ先生に劇画を描いてくれなんて頼んだ。私は、現在の劇画ブームを意識したうえで、ガボ先生らしいマンガを描いてくださいとお願いしたんだ。ガボ先生にこの間聞いた通り、無免許の外科医が主人公で、天才的な外科技術で難病を直していく話なら、必ず、劇画的なリアリティーが絵の中に入ってくるはずだ。私はこう確信する。先生のうちへの新連載はは、マンガとも劇画ともつかない画期的な作品になるはずだ。

栗原 それって結局、ガボ先生に劇画を描けっているようなものじゃありませんか。

壁田 違う。

栗原 私は正真正銘、ガボ先生の真骨頂である丸い線のマンガを書いてくださいと言っているんです。

壁田 さあ。先生。どちらの雑誌に描くんですか。

ガボさん そんなこといわれてもなあ。

栗村 はっきりしてください。僕は編集長を説得しなくちゃならないんです。

壁田 先生。

 ガボさんは、時造を見ている。

ガボさん 時造さん。

時造 ガジャボイ。久し振りだな。

ガボさん 今日は、東京まで用事か何かで――。

リコさん (困った表情)ガボ先生――。

時造 ……。そう、用事で来てね。いや、もういいんだ。忙しいようだから、失礼するよ。

ガボさん 時造さん、折角きたんだから、ゆっくりしていってくださいよ。

時造 いや、わたしは邪魔なだけだよ。じゃあ。

 時造は、出て行く。

リコさん 時造さん、ガボさんに、赤本マンガを描いてくれないか、ってお願いに来たのよ。まんがマン、今、経営が苦境に立っているんだって。

 ガボさんは、玄関に向かって走りだす。

 外に向かって「時造さん、時造さん!」と何度も叫ぶ。

 しばらくして、ガボさんは、力を落として、部屋にはいってくる。

 力なく、椅子に座る。

ガボさん 僕を一人にしてくれないか。

貴子 わかりました。

 リコさん、貴子、市朗、壁田、栗原は部屋を出る。

ガボさん (独白)……僕は、恩人が苦境に立って、助けを求めているのに、力になることもできない。自分自身がアップアップなんだ。ごめんなさい、時造さん。僕は、僕の好きなマンガを描き続けて、ファンに見放されていくのをよしとするか。はたまた、読者の好みに合わせて、劇画を描くことにするのか。僕の描くものは、偽善的でぬるま湯につかっているようなものじゃないか。劇画は、確かに危険な部分もあるが、僕の漫画以上にエネルギーがあるのも確かだ。SFやファンタスティックなテーマばかり描こうとしても、もう限界なんだ。マンネリズムに陥っているんだ。だから、マンガでは駄目だ。だが、僕に劇画が描けるだろうか。僕は、劇画の方法を導入した「バンパイア」を発表した。月夜にけものに変身してしまうバンパイヤ一族のトッペイ少年の物語だ。だが、物語が暗くなってしまうんだ。僕の気持ちが作品に反映してしまうんだ。僕の以前からのファンからは、総すかんをくった。ガボさんに裏切られた、とね。僕は、どうすればいいんだ。

                                  明転

斉田 ストーリーマンガを開拓して、新しい時代を創ったガボさんが、いつしか時代に取り残されつつあるのでした。私は、ガボさんのマンガを、ずうっと読んでいましたが、一方では、梶原一騎を代表とするスポーツ根性マンガも読むようになっていました。「巨人の星」「明日のジョー」「タイガーマスク」「愛と誠」などは今でも、影響を受けた作品たちです。私が、ヒューマンな作品を描く一方で、劇画調の作品も描くのは、私の子供時代からの読書体験によるものです。

 さて、ガボさんが、マンガと劇画の狭間で苦しんでいる間も、ワンダープロは経営危機に晒されていました。

 ワンダープロ。

 相田とリコさん。

リコさん そうですか、TBSも駄目だったんですか。

相田 視聴率が取れなきゃ、うちは困るの一点張り。今は、劇画ブームだからね、ガボ先生の丸っこいキャラクターには、子供たちはもう飽きちゃったらしいんだ。ガボ先生以外の作品なら、やってもいいっていわれたよ。

リコさん ガボ先生以外の作品をアニメにするのなら、ワンダープロじゃなくてもかまわないじゃない。

相田 仕方がない。そういう時代なんだ。読売テレビの「巨人の星」や「タイガーマスク」、フジテレビの「アタックNO1」が大ヒットしている。加えて、円谷プロのウルトラマンシリーズなどの特撮物に子供は夢中だ。

リコさん でも、ワンダープロは400人を超えるスタッフを抱えて、累積赤字で、会社の回転資金さえままならない状況に追い詰められているのよ。

 杉井がはいってくる。

杉井 相田さん。アニメの仕事、取れました。

相田 そうか。よかった。これでワンダープロは、倒産しなくて済む。やっぱり、ビジネスはあなたの方が上だ。あなたが社長になってよかった。

リコさん で、どの作品をアニメにするんですか?

杉井 「明日のジョー」です。

相田 ……「明日のジョー」……。

杉井 そうです。

リコさん ここはワンダープロですよ。

杉井 そうです。

リコさん ワンダープロが、劇画ですか?

杉井 そうです。

リコさん 本気ですか?

杉井 相田さんが、テレビ局を駆けずり回って、一つもアニメ化の契約をとれないんでしょ? 私の方針に従って貰うより他に、会社を存続させる方法はありません。

リコさん でも――。

杉井 どうやって、400人以上の社員の給料を賄うんです。銀行にも見放されているんですよ。他に方法がありません。

 ガボさんと山本がはいって来る。

ガボさん 杉井さん、アニメの受注が決まったんだって?

杉井 はい。

山本 どの作品をやるんですか?

杉井 「明日のジョー」です。

山本 「明日のジョー」……。

ガボさん 劇画ですか。

杉井 はい。

ガボさん 劇画をやるのなら、勝手にやってください。僕は知りません。

 ガボさんは、その場を去る。背中が震えている。

山本 杉井さん、僕、ワンダープロを辞めます。杉井さんとは、最初から、話が合わなかったなあ、って今更思います。僕は、アニメらしいアニメを作りたいんです。僕が子どもの頃見た、ディズニーアニメにような。最初は、リミテッドシステム、バンクシステムに反対だった僕も、国産初のカラーアニメ「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」を作る間に、段々ワンダープロの作るアニメが好きになっていきました。でも、今日、緊張の糸が切れました。会社を運営するには、お金は必要です。ですが、お金を作るためなら、どんなアニメでも構わないという考え方には共鳴できません。

杉井 どんなアニメでも構わない、とはいっていないよ。「明日のジョー」はいい作品だ。現代の子供たちに受け入れられるだろう。どんなに貧しくても、努力をすれば、夢が掴めるんだというテーマは、僕は普遍的なものだと思う。

相田 杉井さん、私も、これ以上、ワンダープロを続けることはできない。

杉井 そうですか。仕方ありません。

 翔子と美砂がはいって来る。

翔子 杉井さん、私もワンダープロ、辞めます。

 リコさん、相田、山本、翔子が去り――。

 杉井と美砂だけが残る。

杉井 どうしてみんなわかってくれないんだ。400人が路頭に迷ってもいいのか。ワンダープロは、設立当初から、不可能を可能にしてきた。リミテッドアニメ、バンクシステム、キャラクターライセンス……。現実路線をひた走ってきたんだ。アニメの理想よりも、どうやって日本にアニメを定着させるのか、それを追求してきたんじゃないのか。うちが、赤字続きなのは、ガボさんが、締め切りを過ぎても、何度も何度もリテイクさせるからじゃないか。もう、「明日のジョー」を作るしか、うちが生き残る方法は無いって、みんな知っているはずだ。何故、何故、みんな支持してくれないんだ。

美砂 残されたスタッフで、「明日のジョー」を精一杯いい作品にすることを考えましょう。今の私たちには、これしか無いんだから。

 ワンダープロの表で、ガボさんとリコさんが話している。

リコさん 先生には申し訳ないんですが、ワンダープロ辞めさせてください。

ガボさん リコさん、辞めるの?

リコさん はい。

ガボさん あなたには、ワンダープロ創世期から、ずうっと迷惑のかけどおしだったな。僕が完全主義だから、いつも納期に遅れてしまう。

リコさん でも、先生の性分なんでしょう?

ガボさん この性分を変えよう変えようと思っているんだ。会社の赤字がどんどん膨らんでいくんだから。

リコさん でも、できなかった。

ガボさん うん。人間って、始末に負えないんだな。

リコさん そうですね。主人が、広告代理店を辞めて、ワンダープロに入るって時も、私、いいことないんじゃないかな、と思ったんです。でも、主人は、一回言い出したら聞かない人だから。

ガボさん 人間は始末に追えない、か――。リコさん、我慢強いです。どうしてそんなに我慢できたの?

リコさん ワンダープロって、みんな本気で生きている。

ガボさん 本気?

リコさん そう。戦争が終わって、平和になって。みんな本音がなくなっちゃった。表面だけ取り繕って、心の中では、何を考えているのかわからない、っていう生き方ばかり。でも、ワンダープロは、背水の陣に次ぐ背水の陣だから、仲間が本音で付き合えるなって思ったの。

ガボさん で、本音で辞めるんだ。

リコさん うん。

ガボさん 実は、僕もワンダープロを辞めます。一緒に辞表を出しましょう。

リコさん ガボさん、社長じゃない。

ガボさん もう、いいんです。

リコさん アニメの夢は、捨てるんですか?

ガボさん 捨てるものですか。僕は、子どもの頃から、物が動く、物が変化する夢をずうっと見ているんです。何故、そんな夢を見るのかわかりません。でも、見てしまう。アニメーッションは、変化ですよ。アニメーションを通して、生き物が色々に変化する。動く。新しい生き物を誕生させ、自在に動かす。こんなに面白いこと、やめられますか。

                                 明転

斉田 ガボさんとリコさんは、この後、ワンダープロを辞めました。相田さんは、長い間のストレスが原因でしょう。亡くなられてしまいました。

一方、ワンダープロの、「明日のジョー」は大成功を収めました。その後も、何度も再放送される、アニメの名作の一つです。しかし、それもつかの間、ヒット作は続かず、やがて、倒産してしまいました。負債四億――。社長を降りていたとはいえ、ガボさんにも巨額の借金が残ってしまいました。ガボさんは、家やスタジオを売っても、巨大な借金が残ったのです。

ワンダープロ。

ガボさんの傍に、壁田と栗村。

壁田 ガボさん、借金なんか、マンガを描けば吹っ飛びますよ。うちに、医者物の劇画を描いてください。先生がこの間おっしゃったタイトル。「ブラックジャック」。もう、編集会議で提案してしまいましたよ。

栗村 ガボさん、劇画に媚びることはありません。ガボさんは、自分が愛するマンガを描けばいいんです。「三つ目が通る」でいきましょう。

 大出時造が立っている。

時造 ガジャボイ。

ガボさん 時造さん。

時造 ガジャボイ、うちに赤本マンガを描いてくれ。

ガボさん (涙が溢れている)皆さん、ありがとう。僕はマンガを描き続けます。

壁田 ブラックジャックをかい?

栗村 三つ目が通るをかい?

 ガジャボイは黙っている。考えているというより、困っているのだ。

時造 ガジャボイ。君がまんがマンでいったこと。覚えているかい?君は、マンガの中に、映画も、文学も、演劇も、アニメも、ありとあらゆるものをどんどん呑みこむんだっていったんだ。ウワバミになるって。

ガボさん そうだ。そうだった。壁田さん、栗村さん、僕はずうっとマンガを続けるか、劇画に転向するかで、ずうっと悩んでいました。それって、僕らしくないんです。僕らしくないから、悩んじゃったんです。今、わかりました。僕は、ウワバミです。何でも何でも好き嫌いせずに呑みこむウワバミなんです。僕は、マンガと劇画、両方やります。ブラックジャックと三つ目が通る、両方描きます。もちろん赤本も。そして、全部ヒットさせます。

 貴子と市朗が出てきて――。

市朗 ガボさん。

貴子 そうこなくっちゃ。

                                     明転

斉田 その後、ガボさんは、本当に両方ヒットさせて、見事にカムバックを果たしました。その後のガボさんの活躍は、皆さんもご存知の通りです。ガボさんが、かつていった「マンガ空気論」。マンガは空気のようにいつでもどこでも、みんなが手にすることができる娯楽なんだという考え方。当時は、奇抜だったけど、今では日本のマンガは、アニメを通じて「世界の空気」になりました。

 私はガボさんは、本当にウワバミだったんだな、と思うのです。マンガに、何でもかんでもぶち込んでしまうのです。生き方も壮絶でした。ガボさんが胃がんで亡くなられたのは、平成元年の二月九日。ベッドで横になっても、奥さんに「頼むから仕事をさせてくれ」という執念。意識が朦朧とする中で、いったガボさんの最後の言葉は、こうでした。「となりにいって仕事をする」

 私が、演劇にマンガに、色んなものをぶち込んで、面白いものを作りたいな、と思うようになったのは、ガボさんのお陰です。

 どうもありがとう、ガボさん――                    幕