漂鳥の儚(ひょうちょうのゆめ)

さい ふうめい

■ 登場人物

飛龍(フェイロン)

春奈

ミャオシー

平岡

マカオ

フダコ

秀麗(チュンリー)

蘭花(ランファー)

スイッチョ

アンドゥ

チャブ

美倫(メイリン)

アル天

ホンチュン

マクドウェル横浜地区司令官

ジェファーソン大尉

マギー

デイック

一九四七年三月下旬――。

横浜中華街・富春楼(フーシュンロウ)。

中華街は横浜大空襲で壊滅状態になっている。たくましい中国人たちは、店を復興してはいるが、それでも店内は粗末な作りである。

本国では、蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党の内戦が激化している。この頃は国民党の旗色が悪い。大勢は共産党有利である。

横浜・中華街も国民党支持、共産党支持で真っ二つに分かれていた。当時、日本はアメリカの統治下にあり、GHQは共産党の勢力拡大を恐れていた。

富春楼は関帝廟の隣りにある中華料理屋である。ここは国民党・共産党双方が入れる店。主人のマカオは平和主義者で、世渡り上手。妻のフダコは日本人。食事を出す一方でカード遊びの相手をする。狭い中華街では主義と遊びは別である。主義は対立していても、遊び場では、波風が立たない雰囲気になる。

ところがいつも平和という訳ではない。

アル天 スイッチョ。手前、またインチキしやがったな。

スイッチョ カードにインチキはつきものだ。見破れねえ手前が間抜けなんだ。

アル天 ぶっ殺してやる。

スイッチョ 何を!!

闇の中怒号が飛び交う。

 アル天は椅子、スイッチョはモップを持って、今にも臨戦態勢である。

 アル天の後ろには、ホンチュン。スイッチョの後ろには、アンドゥとチャブ。

フダコ やめてよ。店が壊れるじゃないやるなら店の外でやって。

男たちは小競り合い、若干の立ち回り。

 中国風の剣舞がよいかも知れない

カウンターで一人呑んでいた飛龍がマカオを捕まえて、興奮気味のようす。

飛龍 なんだい。何が始まったんだ。

マカオ こっちが共産党で。こっちが国民党だ。ここ横浜・中華街はこの両派でしょっちゅう喧嘩が絶えないのさ。

飛龍 本国と同じって訳か。

スイッチョ 手前らインチキな酒売ってぼろ儲けしてんじゃねえ。

アル天 上手い酒を安く売って、お得意様を開拓して何が悪い。手前ら自分等の酒が売れなくて干上がってんだろう。

スイッチョ 手前等が悪どい商売するからだ。

フダコ やめてよ。

飛龍 この喧嘩止めたらいくらくれる。

マカオ 本当か。止められるってのか?

飛龍 一刀両断よ。

マカオ よし。本当に止められたら五百円。

飛龍 やめた。

マカオ 勤め人一月分の給料だぞ。

飛龍 テーブルに椅子、窓ガラスの修理代。まともに払えば二千両は下らないぜ。500なんてケチくせえ。千両でどうだ。

マカオ 人が困っているのに、足元見て。七百でどうだ。

飛龍 八百だ。見ろ、椅子が壊れそうだ。

マカオ あれは二百円もするんだ。わかった。頼む。八百払う。

アル天 スイッチョ、手前が俺らの車かっぱらって、東南アジアに売り飛ばしたのを知らないと思っているのか。

スイッチョ あの車は道に落ちていたんだ。道に落ちているものはみんなのものだ。

アル天 へ理屈を!!(襲いかかる)

立ち回りは更に激しく――。

飛龍 待った。(中央に立つ)

飛龍は両手に拳銃を持っている。銃口は双方を向いている。

飛龍 この喧嘩俺が買った。

アル天 何だと!

飛龍 命知らずだね。命は惜しくないのかい?

スイッチョ この!!

飛龍、銃口を引き絞る。

スイッチョ 待て待て待て。

アル天 同じ中国人じゃねえか、仲良くしよう。

飛龍 いいことをいう。国民党だ、共産党だって、いがみ合うことはねえ。日本の暦じゃ、今日は友引だぞ。みんな仲良くする日だ。(マカオに)なあ。

マカオ うん、そうだ。

フダコ そうそう。

飛龍 さあ、今日のところはお引き取りを願おう。ブラック・ジャックの続きはまた明日だ。博打は明るい笑顔でやりたいものだね。

スイッチョ 畜生!!

アル天 今日のところは貸しだ。

両派は富春楼から出て行く。

男たちが店から出ていくと、飛龍は引き金を引く。

空砲である。

飛龍 親父、危なかったな。(両手を差し出す)

マカオは金を払おうとする。

フダコ どういうことよ。

マカオ 今の騒ぎ鎮めたら、八百円払うって約束したんだ。

フダコ 警察なら只でやってくれるのよ。甘いんだから。

マカオ 背に腹は代えられなかったんだ

フダコ あんた見ない顔だね。

飛龍 今日船で上海から着いたんだ。

フダコ 何で横浜に来たのよ。

飛龍 野暮用だ。謝謝。

 飛龍は出て行く。

 マカオ、フダコは店を片付け始める。

 そこに蘭花、スイッチョが入ってくる。

後ろから、チャブ、アンドゥ。

蘭花 スイッチョ、美倫一派はどうしてあんなに安く酒を卸せるのかわかったのかい?

スイッチョ 原料がエチルアルコールだってことはわかっているんですが。

蘭花 ですが、何だよ。

スイッチョ ちゃんと発酵させてつくっているうちの酒より、何故美味いかがわからねえ。

蘭花 そんな悠長なことをいっている時間はないよ。こっちは干上がる寸前だ。今月もうちらから仕入れる店が17軒も減ったんだ。この店もだよ。

スイッチョ 何?(マカオに)なんで俺たちから止めて、美倫一派から仕入れるんだ。

マカオ だって、向こうの方が安いからね。安くて美味い。

スイッチョ うちらとは付き合いが長いんだ。義理も情もなくしたか?

フダコ ない。値段が全て。

蘭花 スイッチョ。美倫一派とは大戦(おおいくさ)になる。戦には武器を買う金が要る。

スイッチョ そんなことはわかっているっすよ。

蘭花 わかっていたら、儲ける方法を考えなくちゃ駄目だろう!

チャブ そんなことがわかってたらとっくにやっているわよ。

アンドゥ ねえ。

蘭花(チャブたちに)お前たちに稼ぎがないから苦労すんじゃないか。

チャブ 蘭花姉さん、私らからあんなに絞っといて……。

アンドゥ 失礼しちゃうわ。

蘭花 あんた等が売り上げちょろまかすから、金が入ってこないんだよ。

チャブ 蘭花姉さんのピンはねが高くって、やってけないのよ。どこの置屋だって、ピンピンぐらいよ。蘭花姉さんのはピンピンのピンピンだもの。

アンドゥ ねえ。

チャブ あんたはピンピンされるほど稼いでないでしょう。

蘭花 まったく役に立たない。 (スイッチョに)いいかい。腹を据えるんだ。一発逆転の大勝負を打つ。

暗転

横浜港――。

夕方である。人気の少ない場所で、飛龍は海に向かって何かを撒いている。

後ろから、春奈が近づいてくる。

飛龍 今は女を買う気分じゃねえんだ。

春奈 そうね。

飛龍 じろじろ見るなよ。

春奈 辛くない?

 飛龍が振り返る。

春奈 こんな油臭い海に撒いて。

飛龍 ……。

春奈 大切な人の骨なんでしょう?

飛龍 おふくろだ。本当に油臭い海だ。撒いているこっちがかわいそうになってくる。だが、ここに撒いてくれって、自分で言ったんだ。仕様がない。……お前、どうして、撒骨だって分かったんだ?

春奈 わたしも母の骨を海に撒いたから。

飛龍 ここか?

春奈 ううん。沖縄。ずっと南の島――。

飛龍 おふくろは横浜生まれの日本人だ。中国人の愛人になって子供を産んだ。それが俺だ。それから親父は本国にたった一人で帰っちまった。おふくろは横浜にいられなくなって、上海で暮らした。だが、上海は日本人の女がたった一人で生きるには厳しい町だ。阿片に頼っちまった。こんなに骨が細っこい。(骨の一つを静かに海に沈める)

春奈 きっと、生まれ故郷に海に眠れて、きっと喜んでいるわよ。

飛龍 そうだな。横浜の夢をしょっちゅう見てしまうってこぼしていた。お前、何しているんだ?

春奈 下見に来たの。いつか海を渡るんだ。お金貯めて、アメリカででかい商売をする。

飛龍 アメリカンドリームかよ。

春奈 そう、大きな夢を叶えるんだ。

飛龍 がっぽり貯めなきゃならんな。

春奈 がっぽりよ。

飛龍 今、この国で一番がっぽり持っているのはアメ公だぞ。

春奈 だからアメ公相手に稼ぐのよ。GHQが私のお得意さんだ。

飛龍 いい心がけだ。

春奈 でしょ? 私は金儲けのためなら手段を選ばない。

飛龍 ここは自由の街だからな。

春奈 そうなの?

飛龍 親父がいったんだ。俺が三つの頃だ。中国人の親父とここに立っていた思い出があるんだ。親父は、横浜は日本人もアメリカ人も中国人もみんなが住める自由の街だいった。俺は中国をこんな風にしたいんだとな。

春奈 かっこいい親父だね。

飛龍 かっこいい親父だ。だが、実際は女泣かせてばっかりだ。おふくろを捨てて、自分だけ中国に戻っちまうし。俺は三つでおふくろと上海に渡り、それっきりだから横浜はどんなにいい街だろうと期待してきたんだが、いざ来てみるとしょぼい街だった。中国人は、国民党と共産党に分かれてショバ争いだ。本国と同じじゃねえか。日本人はアメリカ人にへこへこしてやがって骨抜きだ。俺はここを香港のような自由の街にする。

春奈 そんなことがあなたにできるかしらね。

飛龍 できねえっていうんだな。

春奈 口だけの男に見えるからね。図星でしょ。

飛龍 ……俺は中国人の社会で、混血、混血と呼ばれて生きてきた。ガキの頃から心許せる友達ができたことがねえ。何をやっても中国人とはちぐはぐな感じになっちまう。中国には、俺の居場所はねえ。日本に帰りてえ、と思いつづけてきた。だが、今日気がついた。日本でも俺は混血なんだ。混血はどこにいってもちぐはぐなのか。俺たちが祖国だと心から思える場所はないのか。そうじゃねえ。おれは今分かった。日本人もアメリカ人も中国人もみんなが住める自由の街が必要なんだ。親父は三才の俺にそのことを言おうとしたんだ。――この街を自由の街にする。香港みたいに。そしたら、ここが俺の居場所だ。

春奈 できるかしら。そんなこと。

飛龍 できるさ。いや、やる。

春奈 ……。

飛龍 賭けるか?

春奈 いやだよ。

飛龍 お前はできねえというんだろう。俺はできるという。意見が対立している。賭けるほかないだろう。

春奈 どうして。

飛龍 外れた方が痛い目に合わなくてどうする。

春奈 変だよ。

飛龍 逃げるのか。

春奈 じゃあ、一円。

飛龍 そんな安い金じゃ駄目だ。俺が勝ったら、お前俺の女になれ。

春奈 馬鹿みたい。

飛龍 ……よし、決まった。大勝負だ。(骨を全て海に撒く)

暗転

 秀麗の家――。

 秀麗、蘭花――。

蘭花 秀麗姉ちゃん、こっちも酒にエチルを混ぜようよ。

秀麗 駄目だ。美倫がどんなに汚い手を使ってこようが、こっちは正真正銘、本物の酒を売るんだ。

蘭花 そんなこといっているから、競争に負けちまうんだ。

秀麗 この中華街は孫文先生と私らのおとうちゃんが力を合わせて作った街だ。何事も公正でなくっちゃならない。

蘭花 わからずや。美倫は父親を追放されて私らを恨んでいるんだよ。どんな汚い手を使っても恨みを晴らしたいんだ。

秀麗 それは美倫の筋違いだ。あの女の父親はこの街では堅く禁じられている阿片商売に手を出した。この街で阿片はまかりならんとおとうちゃんは追放したんだ。恨むなら、美倫は自分の父親を恨むべきなんだ。

蘭花 でも、実際私たちを恨んでいるじゃないか。

秀麗 美倫が馬鹿なんだよ。

蘭花 世の中はね、お姉ちゃんみたいに立派な人ばかりじゃないの。お姉ちゃんは亭主を本国で共産軍に殺されて、よく平気な顔をしていられるね。共産党が憎くないの?

秀麗 私だって共産党が憎い。今でも共産軍と聞くだけで、怒りで身体が震えてくるほどだ。共産党派の美倫も憎い。だが、美倫憎しで私が美倫を殺してごらん。今度は美倫の子どもが、私を憎む。憎しみは憎しみしか生まない。

蘭花 だから、こっちは兵糧攻めにあっても、じっと我慢しなさいっていうの?

秀麗 こっちの辛抱が美倫の辛抱を生むのよ。

蘭花 無理よ。

秀麗 ……あんたは武力で美倫とぶつかる気ね。

蘭花 それ以外他に何があるの?

秀麗 戦は人が死ぬだけ。私はもう真っ平さ。蘭花、孫文先生とおとうちゃんが作った中華街を何としても守るのが、私たち姉妹の使命でしょう。

蘭花 そう。おとうちゃんが作った街を、何としても美倫一派の手に渡さないのが、私たち姉妹の使命よ。

秀麗 私は誰も死なせたくないんだ!!

蘭花 お姉ちゃんは甘いんだ!!

秀麗 甘いもんか。私は争いのない、公正で平等な中華街を作るんだ。

蘭花 それが甘いんだよ!! お父ちゃんと孫分先生の気持ちがわかってないのは、お姉ちゃんだ。私は私でやるからね。

 蘭花走り去る。

秀麗 蘭花!!

                                  暗転

 美倫の家――。ドブロクの密造工場である。

椅子に座って、金を数えている美倫。

ホンチュンは中国拳法の練習をしている。

 アル天はビンにどぶろくを詰めている。

ホンチュン ママ、見て。虎の構え。龍の構え。鳥の構え。猿の構え。(ポーズを作る)美倫 ホンチュン、だいぶ上達したようだね。

ホンチュン 先生にも筋がいいっていわれたよ。秀麗一派は私がやっつけてやる。ねえ、ママ。私たち共産党の天下になったら、貧乏人がいなくなるんだよね。

美倫 そうだよ、ホンチュン。お前も小さいとき、ご飯もろくすっぽ食べられなかったこと、覚えているだろう? 芋がらの粥を啜って、切り藁の中に潜り込んで寝た。お腹はくちくならないし、切り藁の中は、風がスウスウ入ってくるしで、眠れやしなかった。辛かったろう。だがね、そういう人がいなくなるんだ。

ホンチュン あたい、もっと強くなるよ。(ポーズ)

美倫 頼むよ。

 ホンチュン、外に出て行く。

美倫 (アル天に)今月も売り上げ上がったよ。

アル天 当たり前ですよ。うちは秀麗一派の半額でドブロクを卸していますから。中華街だけでなく、やがて横浜中の店がうちから仕入れるでしょう。

美倫 やつらもうすぐ干上がっちまうね。

アル天 時間の問題です。うちはエチルを半分混ぜているおかげで、奴らの半額で卸せるんだ。

美倫 味だって、こっちの方が美味い。どうやって、この味を出すんだろうね?

アル天 これだけは教えられない。

美倫 私とお前は一蓮托生だ。何があってもお前を切ったりはしない。だから私にこっそり教えてくれないか。

アル天 へへへ、ダメダメ。

美倫 お前、日本料理屋で板前の修業した経験が役に立っている。そうだろう。

アル天 勘ぐりだけは自由ですがね、こいつは俺の発明だ。エチルで美味いどぶろくを作る新発明。特許をとりたいぐらいだ。

美倫 特許なんかいらないよ。この酒がどんどん売れれば私らの天下が来る。発明は革命の母だ。

ホンチュンの声 (袖から聞こえる)どぶろく買っとくれよ。うちのどぶろくは美味いよ。美味くて、安い。よその半額だ。とびっきり美味いドブロク、買ってくれよ。

暗転

 富春楼――。

 飛龍、マクドウェル、ジェファーソン、マギー、ディック、マカオ、フダコ。 

 飛龍がディーラーで、マクドウェルを相手にブラック・ジャックをしている。

マクドウェル ヒット。(カードをめくる)20! よし、勝負だ。

飛龍 (めくる)エースだ。21。ブラックジャックだ。

マクドウェル 何だと!! 三回も続けて、ブラックジャックが出るはずがあるか。

飛龍 司令官、エースは四枚あるんですよ。四回続いてもおかしくはないんです。

マクドウェル 強い。強過ぎる。もう、六時間も負け続けだ。ちょっと、待ってくれ。カードを調べたい。

飛龍 どうぞ。(カードを渡す)

 マクドウェル、カードを調べ始める。

飛龍 マクドウェル司令官。あなたはGHQ横浜地区の総責任者ですよね。

マクドウェル いかにも。

飛龍 司令官を男と見込んで頼みがあるんだが。

マクドウェル 私が女に見えるかね。

飛龍 男の中の男に見えます。俺は人相学には一家言あるんだ。俺は上海一の人相学の先生に学んだ。あんたには英雄の相がある。先ず、目力(めじから)がある。目に力がなくちゃ、男は大きな仕事ができねえ。次に頬だ。頬のふくよかさ。こいつに福が来る。加えて、耳たぶ。(触って)やっこい。どれをとっても、偉人になる器だ。偶然だろうか。あなたは中国の名だたる武将と、同じ星を持って生まれている。隣の関帝廟にまつられている、中国最大の英雄・関公とは、まさに鼻の形まで同じだ。私は断言する。あなたは横浜司令官で終わる器ではない。

マクドウェル 持ち上げ過ぎだ。残念だが、私は出世を望んでいる男ではない。平凡な人生を望んでいる。当然、アメリカ大統領になりたいという野望はない。ま、イングリット・バーグマンと結婚できるというのなら、少しばかりの野心は持つがね。(カードを返す)

飛龍 カードにインチキはあったかい?

マクドウェル ない。

飛龍 で、頼みなんだが。

マクドウェル 何だい?

飛龍 横浜を自由都市にしないか。日本でもアメリカでも中国でもない。この街に住みたいと思った人間はみんな受け入れる。関税を安くして貿易の都にするんだ。

マクドウェル トレビアン! 実は私も同じ考えを持っていたのだ。私はアメリカの自由をこの日本に根づかせたいと願っていた。しかし、日本全土というのは、いかに私でも夢物語に過ぎる。私は日本が、とりわけこの横浜の町が好きだ。日本、中国、アメリカ、この三つの匂いをもつ東洋の玉手箱のような町が。横浜でならそれが実現できようというものだ。私は今、同士を持った。トレビアン!! トレビアン!!

飛龍 マクドウェル司令官は、世界に先駆けて生まれた国際自由都市・横浜のジョージ・ワシントンになる。

マクドウェル いや、それは違う。私は縁の下の力持ちでよい。君、その仕事をやってくれたまえ。私も援助は惜しまない。横浜を自由都市にするという気宇壮大な夢を叶えよう。

フダコ 司令官、そんなこといって、GHQの中で実権あるの?

ジェファーソン 失礼なことをいうな。マクドウェル司令官は本来なら、ホワイトハウスの中枢に座っている方だ。

マクドウェル 私の望んで、この横浜地区司令官になったのだ。マッカーサーに頼んだのだ。マッカーサーは私の頼みは何でも聞く。彼はレイテ、硫黄島と二つの上陸作戦で致命的なミスを犯している。本来なら軍法会議ものだ。ここだけの話だが、失脚してもおかしくない。彼のミスをリカバーし、隠蔽したのが私だ。だからマッカーサーは私にだけは頭が上がらんというわけだ。飛龍君、横浜独立には条件がある。ここ中華街は美倫率いる共産党派、秀麗率いる国民党派に分かれて、抗争が絶えないのだ。GHQ最大の頭痛の種だ。この両派を大同団結させて欲しい。

 漂鳥の儚(ひょうちょうのゆめ)  幕前十ページ

 

関帝廟――。

 遠くからジェファーソンが双眼鏡で覗いている。

 傍にはマギーとディックがいる。

 秀麗とスイッチョが関帝廟の前にくる。

 後ろからこっそり、チャブとアンドゥ。

秀麗 私は身の潔白を証明するんだ。

スイッチョ 秀麗姉さん、影に隠れてださい。

秀麗 スイッチョ。戦は私が承知しないよ。

スイッチョ 絶対にやりません。秀麗姉さんにはかすり傷一つ負わせないっす。ささ、隠れて。

 秀麗は影に――。

チャブ そんなこといって、大丈夫?

アンドゥ もしものことがあったら、どうするのよ。向こうは娘を奪われて頭に血が上っているのよ。

チャブ まともな話が通用するかしら。

スイッチョ その時は奥の手がある。見てくれ。富春楼の屋根裏部屋にブローニング機関銃が二台据えてある。もしものことがあったら、その二台がいっせいに火を吹く。敵は刃物がせいぜいだ。ひとたまりもない。

アンドゥ 怖い。

チャブ そんなものどうやって手に入れたのさ。

スイッチョ 蛇の道は蛇だ。さあ、お前たちも安心して隠れていろ。

 チャブ、アンドゥは別の方に去る。

チャブ クワバラ、クワバラ。

アンドゥ 黙って着いていったら、命がいくつあっても足りやしない。

チャブ あんな奴のいうことを信用したらお終いね。

 マカオ、フダコ出てくる。

マカオ スイッチョ止めるんだ。手を結ぶんだ。

スイッチョ 喧嘩を売ってきたのは向こうだ。

フダコ 手を結んでくれなきゃ、うちの店がこわれちゃうじゃないか。

 フダコは立ちはだかる。

スイッチョ うるせえ。どけ。(フダコをどつく)

マカオ なんてことしやがるんだ。

スイッチョ 女の出る幕じゃねえんだ。

フダコ 私はどかないぞ!! 命に変えたって、店守ってやるんだ。

 フダコ、スイッチョともみ合う。

スイッチョ 邪魔だ!!(フダコを倒す)

マカオ この野郎!! フダコを!!

スイッチョ 早く立ち去れ。命が惜しくないのか!!

 スイッチョが目で示した方向からは美倫一派が近づいてくる。

 美倫とアル天。

 刀を手にしている。

 マカオとフダコは恐怖に慄いて去る。

美倫 スイッチョ、なめた真似をしてくれたね。ホンチュンを返せ。

スイッチョ 俺たちはやっていねえ。

美倫 証拠があるんだ。

アル天 誘拐したのはお前だ。

スイッチョ 違う。

アル天 じゃあ、誰がやるっていうんだ。

スイッチョ 知らん。だが俺じゃねえ。

アル天 取引か。なにが目的だ。

スイッチョ 取引じゃねえ。やってねえってのがわからねえのか。(刀を構える)

 美倫たち刀を構える。

 じりっ、じりっとさがり、間合いをはかる両派。

 剣舞――。

 スイッチョは剣を美倫の喉元につき付ける。

 美倫を人質に取られて手が出せないアル天。

平岡 (声だけ)よせ、よすんだ飛龍。

ミャオシー (声だけ)命をなくすだけよ。いっちゃ駄目。

 飛龍の肩を押さえつける平岡とミャオシー。

飛龍 そんなこといったって、あれを止めなきゃ、今まで何をやってきたのかわからねえじゃねえか。

平岡 深追いするな。もう、無駄だ。

ミャオシー あがいても駄目。水晶がやめろっていっているのよ。

飛龍 馬鹿野郎!!

 飛龍は二人を振り切って、両派の中に割って入る。

飛龍 待て待て待て!!! 早まるな。同じ中国人同士じゃないか。血を流すことはない。俺たちは争いを逃れるために本国から渡ってきたんだ。ここで争ったら元も子もなくなる。

アル天 どけ。

飛龍 早まるな!!

シソー どかないとお前を斬るぞ

飛龍 俺を斬ってどうするんだ。冷静に考えよう。こっちは美倫姉さんの娘を誘拐していないって言うんだろう? 誰か他の奴がやったかもしれないじゃねえか。

美倫 そんなことはありえない。

飛龍 じゃあさ、娘がふらっと旅に出たくなったとかさ。

美倫 どけ!!(スイッチョの刀をはたいて、拾い、斬りかかる)

 スイッチョは隠していた小型の刀で応戦――。

 たまりかねた秀麗が出てくる。後ろに、アンドゥ、チャブ。

秀麗 美倫。早まるな。私たちはあんたの娘に腕一本出したりしてはいないんだ。

美倫 信じないね。

秀麗 人質にとっているのなら、もう出しているはずさ。

飛龍 ほら、秀麗姉さんもそういっている。ここは一つ穏便に行こう。俺、いいこと考えたんだ。孫文の息子がいれば、両派上手くいくんだろう? 司令官もああいってくれていることだし、孫文の息子を探そうじゃないか。待て待て待て。三日、三日待ってくれ。三日で俺が絶対孫文の息子を探し出してくるから。

 両派、緊張感が高まる。

スイッチョ ガチャガチャうるさいんだよ。

飛龍 じゃあ、二日だ。二日でどうだ。……一日。一日待とうよ。俺が何とかするからさ。

アル天 馬鹿野郎!! セリやってんじゃねえんだ。そこをどけ!!

飛龍 いや、俺はどかねえよ。

平岡 飛龍!! 逃げるんだ!!

ミャオシー もう駄目よ。逃げて!!

飛龍 やめろ!!

 アル天は刀で斬りかかる。

 腹を刺しぬかれ、倒れる飛龍――。

平岡 飛龍!!

ミャオシー 飛龍!! なんてことを!!

アル天 逃がすな。

 両派激しい殺陣――。

 やがて、両派の睨み合いに。

 そのまま、シルエットになったとき、銃声が轟く。

 アル天が倒れる。

美倫 アル天。アル天。

 後ろからブローニング機関銃が一斉に火を吹く。

 硝煙が立ち込め、叫び声が轟く。

 一人ずつ倒れていく。

 硝煙が薄くなり――。

 美倫が立っている。

美倫 (秀麗は虫の息)おとうちゃんとホンチュンの仇――。

 美倫は刀を秀麗に突き刺す。

 その刹那、虫の息のスイッチョが美倫に斬りかかる。

 秀麗、美倫ともに息絶える。

 静寂――。

 マカオ、フダコ、立ち尽くす。言葉もない。

マカオ なんということだ……。(ひざをつく)

 マカオはフダコに支えられてやっと腰をついている。

 ジェファーソン、マギー、ディックが歩いてくる。

ジェファーソン 終わったようだな。マギー・ローゼンタール秘書官。合衆国国務省に報告書を書いてくれ。中華街の華僑を一掃せよという指示は履行されました。横浜を合衆国の領土とする準備は整いましたとな。

マギー はっ。(敬礼)

マカオ 何だって。司令官、どういうことだ。

ジェファーソン アメリカ合衆国の領土となる街に、私利私欲の塊である華僑は不必要だということだ。

マカオ そんなことが許せるか!!(ジェファーソンに襲い掛かろうとする)

 ディックはマカオを制止する。

フダコ この!! 私が許さない!!

マカオ よせ。よすんだ。(フダコを止める)

フダコ そんなことって、あるかよ!! あるかよ!! あるかよ!!!

ジェファーソン お前もこうなりたいか。(死体の山を示して)これが漂鳥の末路だ。

飛龍 聞いたぞ。(声がする)

 飛龍は立ち上がる。

秀麗 危うく一掃されるとこだった。

美倫 戦には負けるわけに行かないからね。

 転がっていた死体が全て立ち上がる。

飛龍 驚くことはない。俺たちは幽霊じゃないんだ。全部空砲だ。やっと化けの皮が剥がれたな。

 春奈がホンチュンを連れて入ってくる。

 ホンチュンは美倫のもとへ。

ジェファーソン (春奈に)どういうことだ?

春奈 ……私は、ずうっと自分の居場所を探してきた。私の居場所は、あなたのそばにはないことがわかったの。

平岡 秀麗姉さん、あんたが足を打ちぬかれた時、現場に落ちていた弾だ。(弾丸を秀麗に見せる)コルトの13型。日本人や中国人には簡単に手にはいらねえ。

飛龍 その兄さんが持っている奴だ。

ジェファーソン くっ。黙れ!!(ジェファーソンは内ポケットから、小型のコルトを出す。)

 ジェファーソンが撃つ。

 その刹那、春奈が飛龍の前に立ちはだかる。

 春奈の肩が打ち抜かれる。

 倒れる春奈――。

飛龍 春奈!! この野郎!! (胸ポケットから拳銃を取り出す。)

ジェファーソン 空砲だろう。テンプラ飛龍。(銃口は春奈を向いたまま)

 飛龍とジェファーソンは拳銃をお互い構えている。

 銃声が轟く。

 どちらの銃が火を吹いたのかわからない。

 やがて、ゆっくりと倒れるジェファーソン。

 ディックはジェファーソンを抱き起こす。

 春奈がジェファーソンに歩み寄る。

ジェファーソン ……俺の居場所はどこにある……。どこなんだ。どこなんだ。

 ジェファーソンは息絶える。

ディック ジェファーソン大尉の銃には、一発しか弾は入っていなかった。

マギー ……。

ディック 俺が抜いた。軍規違反だ。

 マギーはジェファーソンを抱きしめる。

平岡 (飛龍に)これだけ派手な祭りをやっちまったら、この街にはいられないぞ。

飛龍 高飛びするほかないか。いっしょに行くかい?

平岡 そうだな。もうこの街も飽きた。頃合だ。

ミャオシー 私もお供しようかな。

飛龍 どうせ漂鳥だ。かまうか。飛んでいった先が華僑のふるさとだ。(春奈に)お前もこい。よし、準備が出来次第、本牧のA突堤に集合だ。

 ジェファーソンに向かって、十字を切るマギー。

                                   暗転

 

 本牧A突堤――。

 飛龍が待っているところに春奈が来る。

飛龍 きたか。心配していたんだ。大博打だったな。だが、絶対に勝てると思った。お前がこっちに付いたからな。お前、すげえツキを持っている。

春奈 本当?

飛龍 ああ、本当だ。天地がひっくり返っても、お前のツキだけは、変わらねえ。ずっと俺について来い。俺たちには、この世の幸運という幸運が、先を争って押し寄せてくるぜ。

春奈 ……。

飛龍 本当だって。

春奈 私、自分に賭けてみる。お金ためて、アメリカででかい商売やる。私、自分を信じてみることにしたんだ。私の居場所は、私だ。……ごめん。

 春奈は、飛龍の胸に一度抱きつき――。

春奈 シンフー――。

 春奈は、飛龍の目を静かに見て、走り去る。

飛龍 まったく。ペテン師がうじゃうじゃいやがるんだ、この横浜は。

                                      暗転

 数日後――。

 横浜港に秀麗と美倫が立っている。

 貨物船の行く先を見ている。

美倫 飛龍たちが乗っているのはあの船かい?

秀麗 うん。次は香港で商売をするらしい。

美倫 香港は金持ちが多いから、奴らにはもってこいだ。

秀麗 スイッチョが情報を聞きつけたんだけどね、アメリカは結局沖縄だけを領土にして、横浜は諦めるらしい。

美倫 独立もできなかったが、アメリカ領にもならなかったというわけか。

秀麗 結果オーライというとこだ。これからは国民党支持の店は蒋介石の写真を飾って商売をし――。

美倫 共産党支持の店は毛沢東の写真を飾ることになる、か。

秀麗 思想は敵味方でも、隣り合って商売するときはニコニコ顔。それが華僑のいいところさ。

 蘭花出てくる。

蘭花 いたいた。ここにいるって聞いたものだから。

秀麗 蘭花。

蘭花 上海から今日戻ってきたんだよ。

秀麗 勇ましいこといって、なんだい意気地のない。

蘭花 そんなこといったって、本国は共産党の完全勝利で国民党は台湾に一斉退却だよ。居場所がないんだもの。帰るほかないじゃない。

 秀麗と美倫、目を見合わせて笑い出す。

蘭花 何で二人して笑うのよ。

秀麗 蘭花。お前は日本生まれだよ。

美倫 本国に帰ったって、漂鳥なんだ。

蘭花 人の気も知らないで。

秀麗 ここが私たちの居場所さ。

美倫 だっておかしいんだもの。

秀麗 ねえ。

蘭花 (カバンの中の写真を思い出し)お姉ちゃん、見せたいものがあるんだ。上海の叔父きの家でこんな写真を見つけたんだ。(写真を見せる)これがおとうちゃんで、横にいるのが――。

秀麗 孫文先生だ。

美倫 こっちの女の人は、孫文先生のいい人だね。着物を着ているから日本人だよ。

蘭花 その真中にいる男の子が孫文先生の子供――。

秀麗 うん?

美倫 どうかしたかい? 着物にペンダント、変だね。

秀麗 このペンダント、どこかで見たような。はて、どこだったろう。

 チャブ、アンドゥ、春奈が「こんな女に誰がした」を歌いながら出てくる。

チャブ 私が一から商売叩きなおしてやるかなね。

アンドゥ 中国人の商売は厳しいよ。

春奈 頑張る。

チャブ (蘭花を見つけて)あっ、いやな奴が帰ってきたよ。ピンピンのピンピンが。

蘭花 いやだね。もう、やらないよ。ピンぐらいしか。

秀麗 (春奈のペンダントを見て)あっ、それだ。(春奈に)このペンダント、どうしたの?

春奈 飛龍に貰ったんだよ。お袋さんの形見だって。あの男のいうことだから、法螺だと思うけどね。テンプラ飛龍――。

 秀麗、美倫は顔を見合わせる。

秀麗 (美倫を見て)漂鳥の儚か――。

美倫 私たちなにやってたんだろう。

チャブ 急ごう。商売、商売。横須賀にアメリカの空母が入ったんだよ。

アンドゥ がっぽり稼ごう。

春奈 がっぽり。

チャブ 春奈、アメリカででっかい商売やるんだろう?

春奈 そう。だからがっぽり稼ぐんだ。

 チャブ、アンドゥ、春奈は去る。

蘭花 (秀麗に)商売の様子見てくる。

 蘭花はチャブたちの後を追う。

 

美倫 私たちも油売っている暇はないんだった。

秀麗 そうそう商売の仕込みだ。どぶろくに味の素を混ぜるっての真似させて貰うよ。

美倫 どうぞご勝手に。真似できるかしらね。味の素はさじ加減が難しいんだ。

 美倫、秀麗は家に帰る。

 岸壁から、飛龍、平岡、ミャオシーが這い上がってくる。

 3人ともずぶ濡れである。

飛龍 こんな面白い国とんずらできるかよ。

平岡 次はどこに行こうか。

飛龍 そうだな、金持っている奴が佃煮にするほどたくさんいる街がいいな。

平岡 金持ちの佃煮か。美味そうだな。

飛龍 ミャオシー、水晶に聞いてくれ。

ミャオシー 今やっているところ。出た!! ずばり、神戸。

平岡 神戸か――。いいな。

ミャオシー 金持ちはたらふくいるし、それになにより南京町がある。

飛龍 いや、もっと金を持っている奴がいるとこがあった。沖縄だ。沖縄の米軍基地が一番でかい。

平岡 よし。

ミャオシー 決まった。

飛龍 次は沖縄だ。

 貨物船の汽笛が横浜港の夕空に鳴り響いた。

                                 幕