たちの夜

さい ふうめい

■登場人物

銀次

文吾

虎男

リー

関根

花村

山上

杉崎

啓司

ツグミ

千草

万里

カツ子

 

プロローグ

1964年―。

新宿東口にある将棋クラブ「花蓮(ファーレン)」。店の主人・千草が念入りに掃除をしている。外から声が聞こえてくる。文吾 お願いです。一番だけでもささして頂けませんか。啓司 しつこいなあ。いい加減に帰れよ。ここはあんた達のような浮浪者のくるクラブじゃないんだ。 文吾がずぶ濡れになって入ってくる。啓司 すみません女将さん。 今つまみ出しますから。文吾 ここは「ファーレンクラブ」っていうんですよね。

千草 ええ、そうですけど。

文吾 一番だけ、一番だけお願いします。、若いころ、ここと同じ「ファーレン」って名前のクラブで、真剣ぶったことがあるんです。 死ぬか生きるかって、しびれるような真剣を。

啓司 こいつ真剣師の成れの果てですよ。哀れなもんだ。うちは真剣はお断りだ。

文吾 ・・・・・・頼みます。

啓司 あんた達のようなダニを相手にする時代じゃないんだ。テレビ観ていないのかい? 日本中が東京オリンピックに沸いてるぜ。

千草 一番だけですよ。

啓司 女将さん・・・・・・。

千草 土砂降りの中、傘もささずに・・・・・・。

文吾 すみません、少し考え事をしていたものですから。

千草 (将棋盤の準備をしながら)・・・・・・新宿西口にあったファーレンクラブで将棋を指されたことがあるんですか。こっちは東口ですけど、ずっと新宿で「ファーレン」という名前の将棋クラブをやりたかったんですよ。この店は半年前に開きました。

文吾 (駒を並べながら)いい駒を使っていらっしゃる。きっと流行りますよ。

千草 先手、どうぞ

文吾 はい。(指す)

千草 (9四歩と端歩を突く)。

文吾 (驚く)これは。

千草 私の流儀です。お客様と指すときの一手目は、9四歩と決めているんです。

文吾 ・・・・・・どうしたことだ。実は私も20年前、ここと同じ西口のファーレンクラブで後手番の初手に「9四歩」とついた勝負を見たことがあるんです。終戦直後のことです。新宿はやくざのシマ争いで、毎日抗争が絶えないというありさまで。

千草 ・・・・・・9四歩と指したのは、銀次という名の真剣師ではありませんか?

文吾 どうしてそれを?

千草 銀次さんをご存じの方でしたか。一局指すついでに銀次さんのことを教えて頂けませんか。

文吾 あなた、もしや・・・・・・。

暗転

1947年夏――。新宿西口。

暗闇の中で銃声――。

激しく撃ち合う。

男たちの叫び、女たちの悲鳴――。

闇の中で声がする。

中国人1(紺野) 頼む。命だけは助けてくれ。もう、日本人のシマは荒らさねえ。本当だ、嘘じゃねえ。

銃声――。

中国人1 うわぁ!

日本人1 ざまあみろ。ここは日本だ。お前ら中国人の出る幕じゃねえ。

日本人2 こんりんざい、日本人のシマを荒らすんじゃねえぞ。

溶明

男が倒れて居る。紺野である。

銀次、文吾、虎男が駆け込んでくる。

中国人2 (紺野を抱き抱えて)紺野しっかりしろ。

中国人3 日本人の犬コロめ、ぶっ殺してやる。

中国人4 (制して)向こうは拳銃を持っているんだぞ。

中国人2 紺野、紺野!! 必ず敵はとってやるからな。(二人に)こいつは俺と一緒にカオシャンから出てきたんだ。 紺野、紺野!!

リーが駆け寄ってくる。

リー どうした!

中国人3 リーさん、これ以上日本人をこの新宿にのさばらしておくてはありません。俺たちは戦争に勝ったんだ。シマは取ったんです。

リー 俺に意見をするな。向こうは取られたと思っていねえ。

中国人3 いや、とってます。日本人が中国でやったことを、今度は俺たちがやるまでです。

リー これ以上血が流れるのは意味がない。このシマ争い、代打ちできめる。

暗転

関根邸――。

リー 新宿西口のシマ争いで、もう20人以上が死んでいる。

関根 最後の一人まで戦う。それが戦争だ。

リー 死にたい奴が死ぬのは構わない。が、生きたい奴を殺すわけにはいかん。

関根 立派だな。その言葉、本国で内戦を繰り返している同胞に聞かせてやれ。・・・・・・結論をいえ。

リー 代打ちだ。シマ争いは代打ちで決める。戦さは軍鶏にやって貰う。

関根 ホンビキか―?

リー ・・・・・・将棋だ。こっちの真剣師とそっちの真剣師をぶつけ合う。

関根 ほう!! 最近は威勢のいい中国人の真剣師が幅を利かせているそうだが、将棋で日本に勝てるかな。

リー 乗るのか? 乗らないのか?

関根 ・・・・・・・乗る一手だ。条件はこちらで決める。・・・・・・勝った方がシマの8割。負けた方が2割を貰う。

リー 10、0だ。それが戦争だろう。

関根 10、0じゃ、またドンパチ始まる。

リー では、9、1で。

関根 欲をかくな。1の方が干上がって、また戦争再開だ。余計悪くなる。

リー 8・5と1・5なら。

関根 俺たちは商売ををやっているんじゃねえ。

リー 戦争は商売だ。

関根 8、2だ。

リー ・・・・・・・いい度胸している。あんたがルソン島の作戦本部にいながら、アホのアメ公に負けた理由がわからねえ。

関根 奴ら、鉄砲たらふく持ってきやがった。ただそれだけのことだ。

リー ・・・・・・3番勝負で決めよう。先に2番とった方が勝ちだ。

関根 わかった。懸賞金は一番につき、100万円。

リー もう、50万積もう。150万円でどうだ。

関根 今度は太っ腹だな。

リー 中国人は締める時は締めるが、出すときは出す。負けた真剣師は残りの人生をカタに取る。

関根 なるほど。男一人蛸部屋に売れば、そのくらいはあがる。

リー 気を入れて貰わないとな。

リー出て行く。ツグミ出てくる。

関根 ツグミ、お前何としても銀次に近づけ。真剣師の銀次だ。同じ台湾人同士だから、奴も気を許すだろう。今度の勝負には必ず銀次が出てくる。勝負の前に銀次に飲ませろ。(紙の包みを渡す)戦時中に特高が自白用に使った興奮剤だ。銀次が正常な判断力を失えば、勝負はこっちのものだ。うまく行けば、お前と娘が一生食えるだけの金はやる。が、失敗すれば、娘には死んで貰うし、お前は女郎屋に舞い戻る。・・・・・・いいな。

ツグミはうなずく。

暗転

路上― 。

文吾と虎男。

文吾 おい、虎男今日はいくら日本人からむしり取ってやった?

虎男 (ポケットから札を出す)ざっと500両。文吾兄いは?

文吾 (札束を出す)1000両だ。

虎男 酒だ。祝杯を上げるぞ。

銀次、ツグミの肩を抱いて出てくる。

銀次 俺は1000両にツグミ一羽だ。

文吾 ツグミ?

銀次 こいつの名前だ。日本人の真剣師、最後は自分の女をカタにぶってきやがって。俺は角落ちで軽くうっちゃった。この戦利品はいずれ女郎屋にうっぱらうんだ。新宿でこの銀次様に勝てる奴はいねえ。 虎男、お前「ファーレン」のカツ子に惚れてるだろ?

虎男 馬鹿いわないで下さいよ。カツ子が俺に惚れてるんすよ。

銀次 別れろ。博打打ちは女に未練をもつと弱くなる。俺は女に惚れてツキを逃がした真剣師を何人も知っている。

虎男 ・・・・・・。

銀次 女は買うもんだ。買った女をその場で棄てる。すると金がかかる。稼がなくちゃならない。当然真剣が強くなる。また金が入る。博奕にはまる。ホンビキ。サイコロ。マージャン。金がどんどん出て行く。金が無くなれば本業の真剣に精を出す。そうして真剣が強くなる。わかったか。女は買え。女にはまる真剣師はくずだ。みんなつぶれていく。(ツグミを見て)お前、いい肌してるな。水をピーンと弾く肌だ。(文吾に)高く売れるぞ。(ツグミに)今晩は俺が可愛がってやる。

リーが出てくる

リー 銀次、今日はいくらかっぱいだ。

銀次 あっ、リーさん、1000両でさあ。

リー 真剣で1000両勝ち、女と博奕で2000両するような暮らしををしていたら、どうなる?

銀次 どうなるって、そりゃ、借金で火だるまになりまさあねえ。

リー お前から預かった証文だ。(紙を渡し)「150万円借用致します。期日までに返さなかった場合は、利き腕一本献上致します」お前の直筆だ。

銀次 だから、期日にはきちんと耳をそろえて返します。

リー よく見ろ。期限は一カ月前だ。

銀次 あら、俺としたことが。

リー (銃を銀次に突き付ける)・・・・・・。

銀次 ちょっと待ってください。必ず返しますから。男の約束です。

リー 大した男だ。お前のために一勝負150万両の真剣を用意した。

銀次 ありがてえ。リーさんの顔がお釈迦様に見えます。

文吾 まて、負けたら、150万のかたが残るんだぞ。相手も聞かずに。

銀次 負けるもんか。絶対に勝つ。勝って借金ちゃらにしてやる。

リー ようし、受けたな。お前には一肌脱いでもらう。

銀次 まかせてください。リーさんのためなら一肌も二肌も脱がせてもらいます。

銀次、去る。

暗転

関根邸―。

関根、花村、山上、忍。

山上と忍は将棋を指し始める。

山上 5三と

忍 5八桂成

山上 同玉

忍 4六歩

花村 一番が早指しの五秒将棋。二番が将棋盤なしで戦う盲将棋。三番が制限時間なしの喧嘩将棋。関根さんの希望どおりのメンツです。高くつきますよ。

関根 一番ごとに150万円。2番でけりが突いたら、花村には成功報酬として、同じ額を払う。

忍 150万円―。家族が10年暮らせる額じゃない。

関根 だが、負けたら、命を頂く。・・・・・・・冗談だ。だが、そのくらいは気を入れて貰わないとな。勝った方が、新宿西口の八割。負けた方が二割という大勝負だ。

花村 戦争でありますね。

関根 ああ、シマを争うんだから戦争だ。(忍を見て)戦争に女は困る。

忍 どうしてだよ。

関根 (花村に)女は博奕にはむかねえ。こいつは変えてくれ。

忍 なにいうんだよ。やらせとくれよ。(腕をまくる。傷痕が見える)喧嘩で中国人にやられたんだ。借りを返してやる。

関根 そいつが困るんだ。

忍 ・・・・・・。

関根 女はすぐかっかする。この勝負はお前の恨みを晴らすためにやるんじゃねえ。戦争だ。

花村 関根さん。こいつは五秒の早指し将棋なら使えます。勘で指す女です。考える将棋ならひとたまりも無いが、勘を頼りにビシビシと指せば男以上でありす。

忍 6三銀打

山上 同馬

関根 ・・・・・・男は考えなくてもいいことを考えるからな。

花村 こいつは目が見えないが、頭はピカイチです。将棋盤なしの盲将棋に持って来いの将棋指しです。 戦前の共産党員でして、巣鴨の拘置所で特高の拷問に負けて仲間をうっちまったんです。

山上 (花村に駒をなげつける)余計なことをいうな。

花村 いてっ。目明きより見えていやがる。

関根 ・・・・・・・目は特高の拷問でつぶされたってわけだ。仲間をうっちゃ、組織にも戻れない。

花村 この二番でも十分に勝算はあります。万が一どちらかが落としても、真剣師で自分に勝てる奴はいません。

関根 お前に勝てれば、プロ棋士になっているものな。花村六段。お前が陸軍士官学校の後輩でよかった。

忍 7一金

山上 4二飛

山上 詰みだ。

忍 負けました。・・・・・山上さん、強い。

関根 次の一番で負けたら、命を貰うぞ。

忍 私は悪運が強いんだ。こんな強い男とは当たらないよ。東京大空襲で三尺隣にいた人が、みんなグラマンの機銃掃射であの世に行ったのに、私は生き残ったんだ。

関根 威勢のいい女だ。(山上と忍に)一番詰んだところで、少し席を外してくれないか。花村と差しで話したいことがある。

山上と忍、席を外す。

関根 本当にいいのか。お前の女だって負けたら落とし前はつけてもらう。

花村 構いません。忍は気丈に見えますが抱くと情が濃すぎます。内懐の深いところまで飛び込んできたがるんです。勝負師の女には向きません。勝って貰いたいのはやまやまだが、負けても惜しくはないんであります。

関根 ひどい男だな。

花村 もっとひどい人が自分の前にいます。自分たちを軍鶏にして、自分は安全なとこにいる。

関根 それが戦争だ。

花村 この間の戦争のときもそうでした。あなたは安全な作戦本部。自分達は最前線。

関根 俺が作戦をちょいちょいいじったお陰で、お前の部隊はアメ公の精鋭部隊とぶつからずにすんだんだ。。命の恩人に向かっていう台詞か。

二人去る。

溶暗

路地――。

忍と山上。

山上 忍、もう花村と付き合うのはやめろ。

忍 できないよ。

山上 奴はお前に惚れてない。

忍 わかってるよ。

山上 だったらなぜ。

忍 私は赤ん坊のころ、親に棄てられて、花村の家に引き取られたんだ。私は花村をあんちゃん、と呼びながら大きくなった。将棋を教えて貰った。

山上 そんな義理はさっさと忘れてしまえ。逃げちまえ。

忍 何度も逃げようとしたさ。でも、私は真剣ささなきゃ生きていけないんだ。必ず花村に出くわしてしまうんだ。

山上 でも、あんな奴の女になることはない。

忍 ・・・・・・。

山上 奴に惚れてるのか?

忍 ・・・・・・かも知れない。・・・・・・・わからないよ。

山上 わからないのか?

忍 惚れるって、どんな気持ちなんだろう。

山上 相手のことを考えると、胸が締め付けられて、苦しくなる。その人のためなら、自分の命なんかどうでもよくなる。

忍 ・・・・・・・わからないよ。

山上 ・・・・・・忍。今度の真剣が終わったら、俺と一緒に逃げよう。

忍 ガミさん、私の顔も知らないんだよ。

山上 俺はお前のすべてを知っている。俺たちは将棋で何十回も会話した。俺たちの将棋はいつも楽しい。盤上で駒が微笑んでいる。お前がどんな顔で指しているのかも知っている。――東北に逃げよう。俺のふるさと十和田湖はいいとこだぞ。秋は紅葉がきれいだ。

忍 ガミさん、おしゃべりなんだね。私知らなかった。――私、ガミさんって、氷のように冷たい人かと思ってた。・・・・・・ごめんなさい。

山上 俺は氷のように冷たい男さ。・・・・・・戦時中、党員だった俺は特高に挙げられた。俺は逆さにつるされて何百発も鞭を食らった。俺は仲間を売らなかった。だが、奴らは俺のおふくろを取調室に連れてきた。おふくろは天井から逆さにつるされた俺を見た。俺の顔はどす黒く崩れ、化け物のように腫れ上がっていたそうだ。恐怖でおふくろの髪の毛が見る見る白くなっていった。一瞬で銀髪の老婆に変わってしまった。気が付くと俺は仲間のアジトを吐いていた。そして、目をつぶされ町にほうり出された。家には帰れないし、組織にも戻れない。何度も死のうとしたが、死にきれなかった。生きなくちゃならないとなると、金が要る。俺はがきの頃から、将棋が強かった。真剣で食うことを思いついた。いつ死んでもいい、と腹をくくると不思議と負けない。

忍 ガミさんの将棋って、不思議。駒が空中にぶらぶら浮いている感じ――。

山上 俺は将棋盤を平面では見ない。空間で見るんだ。普通の将棋指しは、勝負をぶらぶら浮かされて、不安になって負けて行く。ところがお前は空中にブラブラ浮いている駒を楽しんでいる。不思議な女だ。

忍 私はずっとぶらぶら浮いているんだよ。男か女かもわからないし。身体は女だけどしゃべりは男だ。

山上 今度の真剣が終わったら、変わる。

忍 うん、そんな気がする。――見たいな、十和田の紅葉。

暗転

銀次の部屋。

銀次とツグミ。

銀次 お前もアミ族だったのか。(唇をめくる)見ろ。(糸切り歯がない)

ツグミ 私も。(見せる)

銀次 どうして。

ツグミ 私、子供のころ男の子として育てられたの。うち、男の子が生まれなくて――。

銀次 だから、気が強いのか。おとこおんなだな。――俺はがきの頃、女にいじめられてよく泣いた。

ツグミ おんなおとこだね。

銀次 ツグミ・・・・・・。俺の部落ではツグミは神のお告げ鳥だった。

ツグミ うちの部落でもそうだよ。

銀次 そうか。神の山・ラガサンでツグミの声を聞いたら願い事が叶うんだそうだ。俺が腹に入っているときおふくろは何度もラガサンに登ったそうだ。良い子が授かりますようにってな。ところがツグミは一回も鳴かなかったって、おふくろは嘆いていた。

ツグミ うちの親は男の子が授かりますようにって、ラガサンに行ったらしいの。ツグミは鳴いたんだけど、私が生まれたんだって。

銀次 だから、ツグミってなまえになったのか。

ツグミ ううん。これは自分で付けたの。自分の夢は自分でかなえる。私はずうずうしいんだ。

銀次 俺もずうずうしいぞ。

ツグミ 見れば分かります。

銀次 こんなところでアミ族の女と会うなんてな。

ツグミ ここはラガサン新宿村だね。

銀次 俺はラガサンでツグミに会ったのか?

ツグミ このツグミは鳴きませんよ。

銀次 お前、飴湯つくれるか?

ツグミ 飴湯?

銀次 水飴を湯で溶いてショウガを落とすだけだが、俺はこいつに目がねえ。ガキの頃、風邪をひくとおふくろがよく作ってくれた。余所のうちはサトウキビの搾り汁でつくるが、うちのおふくろだけは水飴で作るんだ。こいつはさっぱりして、後を引かない。

ツグミ おいしそうだね。

銀次 よし、俺が飴湯の秘伝を伝授してやる。

ツグミ 免許皆伝になってやる。ねぇ、おねがい。私を女郎屋に売らないで。

銀次 (うなずく)

二人去る。

暗転

リーの家。

リー、文吾、虎男、カツ子。

文吾 花村六段?

リー 相手にとって不足はないだろう。

文吾 冗談じゃない。俺たちは真剣師です。プロの六段に勝てるわけないじゃないですか。

りー おまえたちは新宿一の真剣師じゃないのか? こんな腰抜けがいたとは。

カツ子 どうして虎ちゃんひるむのよ。150万円よ。私たちスイート・ホームが築けるのよ。

虎男 相手はプロだぞ。わかってるのか?

カツ子 虎ちゃんだってプロでしょ。将棋で食べているんだから。

銀次 (出てきて)なにをかっかしてるんだよ。将棋一番指すだけで、リーさんが150万両くださろうってんだ。

文吾 銀次、そんなに甘い話じゃないんだ。

銀次 3番勝負でおまえたちもやろうってんだろう?締めて450万両。おいしい真剣だ。

文吾 相手のうち一人は花村六段だぞ。プロの六段だ。

銀次 花村六段?

文吾 そうだ。

銀次 花村との真剣、この銀次様が買った。

文吾 おまえ、気でも狂ったか。

銀次 花村には借りがある。ちょうどいい機会だ。きれいさっぱりかえしてやる。

リー 銀次、勝てるんだな。

銀次 お天道様に誓って、この銀次が勝ちます。

リー 銀次が花村を倒せばあとの2人は真剣師だ。

銀次 虎男、おれが花村と指せばおまえやるよな。男だもんな、敵に後ろは見せられまい。

虎男 もちろん、喜んでやりますよ。150万両せしめましょう。

銀次 文吾、おまえ何ぐずぐずいってるんだ。俺たちは将棋で食っているんだ。儲かる将棋が目の前に転がっているのに、それよけて歩いちゃ、いつまでも金は入ってこないぞ。

リー (文吾に)じゃあ、受けるんだな。

銀次 あったぼう…ですよ。文吾の力はおれと五分だ。負けるわけないんだ。――もう新宿のシマはいただきですよ。

文吾 (脇に寄せて)……銀次、おれはいやな予感がする。

銀次 おまえは考え過ぎだ。いやな予感は銭が入ったらみんなふっとぶもんだ。

カツ子は虎男を表に連れ出す。

文吾 リーさん、条件がある。その3番勝負、銀次を3番手にしてくれ。

銀次 じゃあ、俺に稼がせないのか!!

文吾 勝手に受けやがって!! 少しは落ち着いて俺の言うことも聞け!(リーに)そのくらいはできるだろう。プロの相手をしようってんだ。

銀次 じゃあ、2番でかたがついたら、俺はどうなる。

リー その時は、成功報酬を出す。金さえ入れば、文句はないだろう。

銀次 何をいう。俺は勝って150万両もらうぞ。

文吾 (銀次に)お前は大馬鹿だ!!

銀次 俺のどこが馬鹿だ。

リーと銀次去る。

軍鶏たちの夜 (幕前十ページ

 

 

勝鬨橋――。

文吾、銀次、対局している。

銀次 詰みだ。

文吾 恐れ入った。お前、こんなに速い将棋を指すのか。三番続けて取られたのは初めてだ。

銀次 速攻また速攻だ。いい力試しができた。オーイ、アメ公、俺は明日勝つぞ。

文吾 明日は飛車を振るのか。

銀次 いや、棒銀で真っすぐ一直線に攻める。花村とは、どうやったって、早さ比べになる。

文吾 早さで競って、成算はあるのか?

銀次 俺の速攻みたろう。

文吾 奴の速攻はプロの速さだ。

銀次 明日の将棋は金がかかっている。プロ棋士は勝っても負けても金が貰えるが、俺たちは勝ったときしか貰えない。金をかけたら強いのは俺たちだ。

文吾 しかし、お前の棋風が壊れる。お前の型で闘った方がいいと思うが――。

銀次 相変わらずお前は堅いな。心配要らない。俺には最初から棋風なんてないんだ。ルソン島で花村に、竹槍でB29を落とす方法を教えた貰ったが、それが逆に役に立っているくらいだ。何しろ俺の将棋は無手勝流だからな。

文吾 奴より早く、攻められるのか?

銀次 心配いらない。俺はがきのころからかけっこが速かった。

文吾 俺は冗談を言っているんじゃないぞ。

銀次 俺も本気だ。――いい夜だ。

文吾 恐くないのか?

銀次 恐くない。

文吾 いい夜だ。

ツグミ、後ろをうかがいながら出てくる。

銀次 ツグミ、ちょうどいいところにきた。大勝利だ。文吾に三連勝だ。(ツグミの水筒を見て)おまえ気がきくな。飴湯を持ってきたのか。明日の一戦は花村に負ける気がしねえ。

ツグミ、飴湯を容器に注ぐ。

銀次 (駒を並べながら)奴は飛車を振ってくるだろう。必ず飛び道具を使ってくる。しかし、奴の飛車は俺に塩漬けにされる。動けない。銀次さまの銀が矢よりもはやくのぼって行く。

銀次、飲もうとする。

ツグミ 待って!!(容器を取り上げ、投げ捨てる)

銀次 何をするんだ。

ツグミ ごめん。私どうしちゃったんだろう。(動転する)

男、出てくる。銀次を銃で狙う。男が引き金を引いた刹那、ツグミは銀次の前に立つ。

ツグミ倒れる。

銀次 このやろう。

男、後ずさり、そのまま去る。

ツグミ 私、関根に頼まれてあんたに近づいたんだ。

銀次 関根?

ツグミ 勝負の前に、あんたに興奮剤を飲ませるって約束で。

銀次 馬鹿野郎。

文吾 医者を呼んでくる。

文吾、走り去る。

ツグミ ・・・・・・ 私、だめな娘だね。近道ばっかり選んじゃった。・・・・・・今度生まれたら、一緒にラガサンの山にツグミの声を聞きにいこう・・・・・・。

銀次 気の弱いこというな。大丈夫だ。

ツグミ ・・・・・・お願いがあるんだけど。

銀次 なんだ?

ツグミ 関根のとこに五歳の娘がいるんだ。私、身体売っているとき、馬鹿なスリに惚れちゃってさ。そいつの子供なんだけど、大事にしたいんだ。

銀次 ああ、心配するな。ちゃんと取り返してやる。

ツグミ 嬉しい。・・・・・・絶対、勝ってね。

銀次 ああ、お前はお願いが多いな。

ツグミ もう、これで全部・・・・・・。

銀次 ツグミ・・・・・・ツグミ・・・・・・どうしたんだ。・・・・・・ツグミ、ツグミ、生きろ。・・・・・・ツグミ、ツグミ。頑張れ、しっかりしろ。これからだろ。・・・・・・ツグミ、ツグミ。

救急車の音聞こえてくる。 暗転

関根邸――。

関根と杉崎。

関根 何だと銀次がまだ生きているだと。ツグミは?

杉崎 病院に担ぎ込まれて、昏睡状態だそうです。

銀次出てくる。

銀次 ・・・・・・ツグミの娘を返して貰おうか。

関根 ツグミ・・・・・とんでもねえ女だ。自分の娘人質に取られて、裏切りやがるんだ。

銀次 娘はもう用済みだろう。こっちによこせ。

関根 ただというわけにはいかんな。元手がかかっているんだ。

銀次 何だと!!

関根 明日の一戦、負けてもらおうか。

銀次 勝負は時の運だ。

関根 時の運じゃない。強い方が勝つんだ。・・・・・・・、こういう条件でどうだ。お前さん、坂田三吉の生まれ変わりを気取っているそうだが、明日の後手番、お前さんは、一手目、9四歩と端歩を突くんだ。坂田三吉と同じ手だ。

銀次 それが強さか――。

関根 そうだ。力が正義だ。勝つためには血も涙もいらない。後手番の9四歩。ツグミの娘にはそのくらい金がかかっているということだ。・・・・・・その代わり、9四歩と突いたら、娘には女学校出るまでの、金をつけてやる。

銀次 もし、つかなかったら?

関根 そのときは仕方がない。何の得もないが、娘は始末させて貰う。

銀次 何の得もないなら、生かしてやったらどうだ。

関根 何の得もなくても殺す。

銀次 男に二言はないな。

関根 ない。

銀次 お前に本当の力を教えてやる。

銀次、去る。

暗転

ファーレンクラブ。

政と万里。

万里 皆さん全然ソトウマに乗ってこないのよ。そのうえ配当率が20対1?

政 このままじゃ賭けにならないわ。いくら新宿一の真剣師だって、プロ六段に勝てるわけない、っておもっているのよ。

万里 おばさま、千載一遇のチャンスだわ。

政 何が千載一遇よ。

万里 災い転じて福となすのよ。私たちの有り金全部銀次に突っ込むのよ。

政 何いいだすのよ。

万里 虎穴にいらずんば虎児を獲ず。銀次を選ばずば、巨万の富を得ず。

政 どうして銀次さんになるのよ。

万里 女の勘よ。私のは当たるわ。前の一戦で儲けた千円全部、それに金貸しに借りた千円、ここに投資するわ。おばさまがあと二万張れば、賭けは成立するわ。

政 しょうがない、乗りかかった船だわ。

万里 そう、そうこなくっちゃ。私たちには一獲千金を手にするチャンスが巡ってきたのよ。千載一遇のチャンスだわ。おばさま店が血まみれになったって、私たちにはお金が残るのよ。

銃声が鳴り響く。かなり大きい。

政 また、何人か死んだわ。早く決着がつかないと、新宿は戦場になるわ。

万里 戦場になる前に、私たちは一生食べるだけのお金を貯めるのよ。銀次に勝って貰わなくちゃ。

リー、関根、文吾、杉崎入ってくる。

花村、銀次、無言のまま入ってくる。

駒を並べる。やはり、無言。

杉崎 時間無制限。先手、花村六段。

花村 (静かに7六歩と指す)・・・・・・・。

杉崎 先手7六歩。

銀次 (9四歩と指す)・・・・・・・。

杉崎 後手9四歩。

ギャラリー、ざわめく。

リー 9四歩だと!! 叩き殺してやる。

文吾 ・・・・・・・銀次は、恐らく一番遠い道を選んだんです。早い将棋では花村には勝てません。坂田三吉がそうしたように。一番遠い道を選んだのです・・・・・・。最短距離を行く近代将棋に一番遠い道で対抗しているんです。

リー 勝てるのか?

文吾 勝つ他ないでしょう。

リー 勝つんだ。

万里 あれ、どういうこと?

政 銀次さんは絶対勝てないってことよ。あのレベルの指し手になったら、一手損は、勝負ありよ。

万里 じゃあ、銀次さんは何故そんなことを?

政 わからないわ。

万里 私のお金はどうなっちゃうのよ。

杉崎 先手3八銀。後手5四銀

文吾 銀次らしい将棋です。陣形をとらない。

関根 お陰で花村は自分の形ができた。あの形から逆転できるのか?

文吾 この先どうなるかはあの二人にもわかっていないでしょう。

杉崎 先手3八金。後手6五歩。先手6八飛。後手4四角。

文吾 銀次の駒は玉を目指していません。駒がどんどん広がって行く。

リー 見たこともない将棋だ。銀次の駒は何を目指して進んでいるんだ。

文吾 何も目指していませんね。戦場をどんどん大きくしているだけです。

リー どういうことだ。

文吾 あれでは花村も最短で攻めていいのかわからないでしょうね。

杉崎 先手8八飛。後手9四飛。先手2五歩。後手9六歩。

万里 あの二人一体いつまで指すつもりかしら。

政 三日でまだ64手しか進んでいない。

文吾 死ぬまで指す気なんだろう。

関根 ・・・・・・・銀次の悪あがきだ。3三桂と跳ねるのに六時間も考えている。どうせ負けるのにご苦労なことだ。

文吾 10年指したって、20年指したっていいんです。負けなきゃいいんですから。

杉崎 先手2五歩。後手2三金。先手8九飛。後手3五歩。

花村 封じます。

杉崎 今日はここまで。続きは明日の9時から行います。

文吾 銀次、急げ。ツグミの容体がわるくなったそうだ。

外で銃声轟く。 暗転

銀次と文吾――。 ツグミの亡骸の前で。

銀次 ツグミ……。

銀次、泣き崩れる。

銀次 (ふらふらになっている)……俺は、俺は、負けない……。

文吾 ……ああ、負けない。

銀次 ……俺は、俺は、勝つ……。

文吾 ああ、勝つ。

銀次 勝つ。

文吾 勝つ!!

銀次 勝つぞ!!

文吾 そうだ、勝つんだ!!

銀次 ……どうしたら……どうしたら、勝てる……。

文吾 攻めろ! 攻めるんだ!!

銀次 どうやって!!

文吾 そうだ。速攻だ。速攻、また速攻だ!!

銀次 ……速攻で、花村に勝てるのか。

文吾 おまえはがきの頃からかけっこが速いんだろ!!

銀次 ……手がつぎはぎになる。

文吾 そうだ。つぎはぎだ。だが、遅い将棋のままでは坂田三吉と同じ。負けだ。だが、つぎはぎならわからん。

銀次 ……いいのか。

文吾 いいも悪いもあるか。おまえは最初から無手勝流だろう!!

銀次 ……そうだ、俺は無手勝流だ!! そうだったのか……。

文吾 攻めろ!! 速攻また速攻だ!!

銀次 攻めてやる!! 速攻、また、速攻だ!!……おお!!(苦しむ)

文吾 どうした!!

銀次 ……恐い。

文吾 (殴る)馬鹿野郎!!! おまえは強い。攻めて攻めて、攻めまくれ。

銀次 よーし。いくぞ!! ツグミ、俺は勝つぞ!!!!!

暗転

ファーレンクラブ。

万里と政。

万里 銀次の彼女が死んだんですって。元気なくしたらどうしよう。

政 どうしようったって、何としても勝ってもらうのよ。

万里 私たちがどうすればいいのよ。

政 祈るのよ。祈るしかないわ。

男たち出てくる。

杉崎 では、昨日の続き、始めてください。

2人指し始める。

杉崎 先手9一飛。後手3六歩。先手同じく銀。後手2六香。

文吾 銀次の戦術が変わった。

リー どうなったんだ。

文吾 早攻めにかわったんです。銀次の駒が遠巻きに遠巻きに花村の玉を追い込んでいる。まるで海の水が月に吸い寄せられるように攻め上っていく。

リー 勝てるのか。

文吾 花村が対応できない形になっています。あんな形、だれも見たことがない。木に竹を継いだような将棋――。序盤と終盤にまったく秩序がない。双方、未知の戦場で闘うほかない。俺は銀次にどえらい将棋を見せてもらった……。

杉崎 先手2六玉。後手1五歩。

文吾 銀次、妙手だ。1五歩は妙手だった。

外で銃声轟く。

杉崎 先手同じく香。後手1八金。

政 花村さんに焦りが出ている。

万里 そうよね、そうこなくっちゃ。私のお金が消えるなんてあるわけないじゃない。

杉崎 先手2四香。後手2八馬。

政 雨だわ。

万里 もう、七日たったのね。七日間で89手――。花村さんの将棋は速さが身上なのじゃないの? 何よこれ。おかしいんじゃないの。

政 静かにしなさいよ。

文吾 二人とも体力、精神力、思考力、ともに使い果たしている。

リー あの二人を支えているものは何だ。

文吾 わかりません。何の支えもなく、ただ闘っているんです。あの二人は軍鶏なんです。

杉崎 先手1八金。後手同じく金。先手4一角成。後手3四桂。

長い間

銀次、大声で笑う。

やがて駒を放る。

万里 銀次、負けたの?

政 分からないわ。

花村 負けだ。

銀次 勝った! 俺の勝ちだ!! 俺は勝ったぞ!!!

文吾 一手差だ。とてつもない将棋を見せて貰った。

忍が走り込んでくる。

花村の胸を指す。

忍 詰みだ。

突然激しい銃弾の雨が降る。

花村、銀次、忍、撃たれて倒れ込む。

みんなが抱き抱えると、三人とも息絶えている。

ファーレンクラブの壁が壊れる。

GHQの男が機関銃を持って立っている。

GHQの男 (拡声器でしゃべる)今日から新宿はGHQが管理します。もう殺し合いはありません。皆さん安心して下さい。新宿は平和な町に戻ります。武器は没収、賭博は全面禁止にします。

暗転

エピローグ

プロローグの続き。

文吾 ツグミの娘さんでしたか。・・・・お母さんにそっくりだ。お母さんは立派な方でした。

千草 銀次さんは?

文吾 それは偉い男でした。

千草 そんな立派な方に頂いた命だったら、大切に使わなければいけませんね。

文吾 いや、あなたはもう大切に使っていらっしゃる。

啓司 (出てきて)お客さん、ひょっとして、張文吾八段じゃありませんか?・・・・そうだよ、女将さん、この人今度中国人で始めて名人に挑戦する人だよ。

千草 八段―。私はそんなに強い方と指したんですか? 申し分けありませんでした。私は目茶苦茶な将棋を指す方だと勘違いしておりました。

啓司 新聞で見ました。名人戦を前に突然・・・・・失踪したとか・・・・・・。

文吾 お恥ずかしい。指し手を迷っていたんです。(千草に)お陰で迷いが晴れました。

千草 私の将棋がお役にたったんでしょうか。

文吾 明日から自信を持って名人戦に臨めます。

千草 今日のような将棋を指されるのですか?

文吾 (うなずく)詰みです。

千草 負けました。・・・・・少しお待ち下さい。

千草、奥へ。

文吾、駒を片付ける。

千草、湯のみを持ってくる。

千草 どうぞ。

文吾 (一口啜る)

千草 お味は如何ですか?

文吾 ・・・・・・なつかしい味です。昔こんな味の飴湯をつくる女性を好きになったことがあります。

千草 まあ。

ツグミが鳴く。

文吾 ツグミの声が聴こえる。

千草 まさか、こんな時間に――。

千草、窓を開ける。

文吾 ああ、お月さんが――。

千草 まんまるですね。

(幕)