戯曲「デモクラティアの種」冒頭

デモクラティアの種
――熊楠が孫文に伝えた世界――
竹内一郎
登場人物
南方熊楠
孫文(孫中山、そん・ちゅうざん)
温炳臣(おん・へいしん)
呉子盈(ご・しえい)
劉小鈴(りゅう・しゃおりん)
ヨモチ 空間の精霊
トキツチ 時間の精霊
ククノチ 木の精霊
テナツチ 上半身の精霊
アシナツチ 下半身の精霊
ハッチ 葉の精霊
ミッチ 水の精霊
ノッチ 土の精霊
ヒッチ 火の精霊
クルチ 動きの精霊
メグチ 巡りの精霊
王創源(おう・そうげん)
王美麗(おう・みれい)
胡金鵬(うー・きんほう)
石超(せき・ちょう)
劉士良(りゅう・しりょう、小鈴の兄)

――どこからか精霊たちの歌声が聞こえてくる。
〽空にさえずる 鳥の声
峰より落つる 滝の音
大波小波 とうとうと
響き絶えせぬ 海の音

一九〇一年二月一五日、午前中のことである。
和歌山郊外の山の中――。
おだやかな木漏れ日――。
鳥と虫の声だけが響く静かな森の中である。
そこに二人の男がやってくる。一人は後の中国に革命をもたらす男、孫文(三五)。
もう一人は孫文の日本での支援者、温炳臣(二八)、部下の呉子盈(二二)である。

温 (息を切らして)孫文先生、もうちょっとゆっくり歩きましょう。私、もう坂道登り過ぎて、膝が笑っています。

孫文 どうした。温炳臣君。もうへこたれたのか?

温 そうは仰いますが、孫文先生、私たちは何時間この森を歩いているとお思いですか? 朝の七時に熊楠先生の家を出発して、もう十一時ですから、四時間も坂道を歩きっぱなしです。熊楠先生は、私たちの歓迎の宴を催すなんていって。

子盈 温社長。熊楠先生は私たちを担いだんですよ。

温 そうだ、呉子盈。こんな山奥にご馳走やうまい酒があるはずない。

孫文 口を動かさずに、足を動かしなさい。熊楠は、ずっと先を歩いている。

温 熊楠先生の真似なんかできませんよ。あの先生は、毎日野山を日がな一日歩いて、珍しい植物とか、細菌の類を探し歩いていらっしゃるんです。身体が人の何倍も鍛えられています。

子盈 私らは横浜の中華街で、毎日美味しい広東料理をおい腹いっぱい食べているんですから。

温 こんな坂道を猟師みたいに歩けませんよ。

孫文 そう愚痴るな。我らの故郷、中国の自然も素晴らしいが、ここ日本の自然もまた素晴らしい。この紀伊半島の雄大な自然の美しさを私たちに味わってもらいたいという、熊楠なりのおもてなしだよ

温 おもてなし、ですか? 見渡す限り木と草しか、ありませんよ。こんなもの食えません。

孫文 (空を指差し)鳥もいるよ。

温 冗談を――。孫文先生、今は政治家でも、元はお医者さんですよ。もう少し、科学的に行きましょう。あんな高いところを飛んでいる鳥をどうやって食うんですか? そういえば、さっき猿を見ましたね。広東料理に猿はありますが――。

子盈 生きている奴をそのまま、というわけにはいきません。

温 熊楠先生、一人で勝手にいなくなるし。我々は客ですよ。客の喜ぶことをやるのが、おもてなしというものです。本当に自分勝手な人だ。自分で自分をもてなしているだけだもの。

孫文 彼の自分勝手は、私と熊楠が出会ったロンドン時代からちっとも変わらない。

温 このままじゃ私たちは遭難してしまいます。

孫文 温君、遭難の心配はないよ。

温 どうしてです?

孫文 熊楠は自然という森羅万象をすべて知りたいと願う博物学者だ。子供の頃から、野山を駆けめぐり、自然と共に生きた。つまりここは、彼にとっては庭のようなもの。彼が一緒なのだから私たちが迷うことはない。

温 そうですけど――。地元の人は熊楠先生を子供のとき「てんぎゃん」と呼んだんでしょう? てんぎゃん、とは天狗のことですよね。日本の山に住む、鼻がこんなに伸びた妖怪です。天狗なんですから、野山で道に迷うことはないでしょうがねえ。

孫文 天狗というあだ名をもらった理由は、子供の頃から、超がつくほど頭がよかったからだ。だが、私も時々、熊楠が本当に天狗、いやてんぎゃんではないかと思うことがある。

温 やっぱり――?

孫文 自然はかくも静謐で神聖だ。てんぎゃんが、ぬっと現れても、おかしくはないぞ。(妖怪の真似をする)

温 (気味悪い)ちょっと、やめてくださいよ。私、そういうのは苦手なんです。孫文先生、今年は一九〇一年です。今年から二〇世紀。科学の世紀の始まりです。

四人の精霊が温の周りにいる。
葉の精霊のハッチ、水の精霊のミッチ、土の精霊のノッチ、火の妖精ヒッチである。孫文と温には見えないし聞こえない。
ハッチ、ミッチ、ノッチ、ヒッチは、長い葦のようなものを持っている。
ハッチが、温の背中を葦で撫でる。

温 孫文先生、今私の背中、撫でました?

孫文 撫でないよ。だって、私は君の前にいる。

温 ですよね。なんか、背中を、スーッと気持ちの悪い感じが走って――。

ミッチが、温の右の頬を撫でる。

温 呉子盈。今、私の、右の頬を撫でたり――。

子盈 しませんよ。私は、温社長の左にいます。

温 だよね。孫文先生、出ていませんか? (妖怪の真似)こういう感じのが――。

孫文 何もみえないが。

温 ですよね。

子盈 温社長、科学的に行きましょう。

その瞬間、ノッチが温の足を葦で撫でる。

温 うわーっ! (右足を示し)ここ、ここ。

孫文 温君、どうした?

温 孫文先生が、私の右足を触るということは――。

孫文 ないよ。(左側にいる)

温 ですよね。天狗なんか信じないぞ。(気付いて)そうだ、ヒルだ。ここは山深いんだ。ヒルがズボンの中にはいって、そいつがもそもそと――。捕まえて、踏み殺してやる。私にいたずらする心ないヒルめ、許さん――。(裾をめくってみると)

子盈 何もいません。

温 もう、いやだ。孫文先生、下界に帰りましょうよ。

ハッチ、ミッチ、ノッチ、ヒッチは、温を葦であちこち触る。

温 (気持ち悪い)わーっ、わーっ、わーっ。いやだ。もう、帰る。私は一人でも帰りますよ。絶対に何か出ていますよ。やっぱり、熊楠先生は天狗なんです。熊楠先生、霊界と交信する人ですよね。変なものを呼び寄せたんですよ。(叫びになる)もう、帰る。

次元が変わる。
温と孫文は、ストップ・モーションになる。
温のみがシルエットで浮かび上がる。

ハッチ やっぱり、この男、やましい心を持っている。

ノッチ ハッチのいうとおりだ。やましい心を持っている人間だから、この魔法の杖を感じるんだ。

ヒッチ そう。

ハッチ ノッチ、森を汚されないように、追い返してしまおう。

ノッチ (ミッチに)それでいいのか?

ヒッチ いいのか?

ミッチ (温の匂いを嗅いで)でも、穢れのない匂いもする。

ハッチ 俺たちの理解者でもある南方熊楠の知り合いなのだから、いいところはあるさ。

ノッチ ミッチ、穢れの匂いはないのか?

ミッチ 鞄の中に金目のものが随分詰まっている匂いがする。

ハッチ 金目のもの? 清らかな感じがないなあ。信用できない。

ノッチ 転ばぬ先の杖だ。追い返してしまおう。

ヒッチ もう少し、様子を見ようよ。

そこにヨモチとトキツチがやってくる。
ヨモチは精霊の長である。老人の風体である。
トキツチは、時間の精霊である。老婆の風体である。

トキツチ おまえたち、何を騒いでいる。

ハッチ トキツチ婆や、(温を指して)この男、穢れを持っています。

トキツチ ミッチ、確かか?

ミッチ それは何とも――。

トキツチ ヨモチ、如何しようか。

ヨモチ トキツチ婆や、人を信じることだ。人は必ずや、改心すると信じよう。

トキツチ ヨモチは甘い。我ら精霊の棲む山が、どれだけ人の穢れのために犯されたのというのだ。穢れを持った人間など、追い払いましょう。

ハッチ そうです。ヨモチさま、これ以上、人の穢れ、すなわちヤミツチに汚染されては、我ら精霊は住む場所を失います。

そこに、ククノチ、テナツチ、アシナツチが現れる。

ククノチ ハッチ、ちょっと待ちなさい。あなたがヤミツチといっても、この場(客席)には人間もいます。ヤミツチの意味が分からない人もいるのですよ。

アシナツチ そもそも、我らが何者なのかも伝わっていないし。

ククノチ ここで、私たちが解説を加えさせていただきます。わたくしは、ククノチと申します。この森に棲む木の精霊です。

テナツチ 私はテナツチ。上半身の精霊です。

アシナツチ 私はアシナツチ。下半身の精霊です。

ククノチ (ヨモチを示し)こちらがヨモチ。空間の精霊で森に棲む精霊の長です。こちらはクルチ。動きの精霊です。

テナツチ (トキツチを示し)こちらはトキツチ婆や。時、すなわち時間を司る精霊です。こちらはメグチ。時巡りの精霊です。

ククノチ こちらがハッチ。葉っぱの精霊。こちらがミッチ。水の精霊。こちらがノッチ、野原、つまり大地の精霊、そしてこちらがヒッチ、火の精霊です。

ヨモチ 精霊とは、人間の言葉でいうと、山や川、野原など大自然に宿る魂ということになるが、私たちこそが万物の源で、人間はそのほんの一部に過ぎない。

トキツチ その一部に過ぎないものが、文明というものを作り、我々精霊の世界を脅かしている。草木を斬り倒し、大地を削り、果ては大気を汚染させ、精霊の棲家を奪いつくそうとしている。

ヨモチ われら精霊は、命を奪われ、世界は闇に包まれる。ヤミツチに支配された世界になってしまう。

ククノチ というわけで、我ら精霊は、森に穢れを持った人間を入れるわけにはいかないのです。

アシナツチ トキツチ婆や、私はあの温という男、森に入れることには反対です。

トキツチ お前は、私の気持ちをよく察してくれる。

テナツチ ヨモチさま、如何いたします?

ヨモチ 森に入れよう。彼らは、熊楠の友人だろう。我らの真意を理解するかもしれん。

トキツチ ヨモチは人間を信じすぎます。ヨモチの意見を聞き入れて、森はどれだけヤミツチにおかされてしまったと思っているのですか?

ヨモチ それも自然の成り行きだ。人もまた自然の一部だからな。

ハッチ では、あの男を森に入れますよ。いいのですね。

ミッチ 私は心配だ。

ノッチ (威張っている)俺は、どっちでもいい。

ヒッチ 私も。

ハッチ どっちでもいい、なんて自分の意見もない癖にいばるな。

ノッチ 俺、気は小さいけど態度が大きいのが自慢だ。

ヒッチ だから、駄目なんだ。

ヨモチ では、我らはしばし様子をみることにする。(去ろうとする)

トキツチ 甘いなあ。きっと後悔しますよ。(追う)

ククノチ、テナツチ、 アシナツチも後を追おうとするが、ハッチ、ミッチ、ノッチ、ヒッチが止める。
ハッチ ちょっと待ってくれ。

ミッチ まだ、私たちもう一人の男が何者か聞いてないよ。

ククノチ もう一人って、あんたたち、孫文を知らないの?

ノッチ 知らない。

ハッチ ノッチ、知らないことをいばるな。

ノッチ すまん。

ヒッチ 謝りながら、威張るな。

ヨモチ しょうがないなあ。では、孫文とは何者かを説明するぞ。

孫文がシルエットで浮かび上がる。

ヨモチ 孫文は、後の中国、中華人民共和国では「建国の父」、後の台湾・中華民国では「国父」、国の生みの父と呼ばれる大政治家になる人物なんだ。
ハッチ 偉いんだ。

トキツチ 今が一九〇一年だろう。今から、六年前に、最初の中国改革、広州武装蜂起に失敗して、国外に亡命したんだよ。

ハッチ 国の外に逃げたっていうことかい?

ヨモチ これを見てくれ。(中国の地図が映し出される)孫文がなぜ日本にいるか、説明するぞ。中国は「清」という国で、皇帝が治めている国だ。

トキツチ 見ての通り、清は、イギリス、フランス、ロシア、ドイツ、日本などが、その富を狙っている。(ノッチに)アヘン戦争って知っているか?

四人は顔を見合わせる。

アシナツチ アヘン戦争も知らないか。今から六〇年前、一八四〇年代に、イギリスと清国の間で起こった戦争だ。清が負けて、イギリスは利益を独り占めしようとしていたんだ。

テナツチ それが悔しくて、各国は清国を狙っているのさ。

ミッチ 私は悔しくない。

ククノチ 私たちは精霊だから、欲がないのよ。でも、人間には欲があるの。

ミッチ 欲ってなあに?

ククノチ 例えばミッチがお腹一杯ご飯を食べたとするでしょう。もう食べきれない。でも、ほかの人が食べ物を持っていたら、なんだか自分もほしくなるわけよ。

ミッチ 自分はお腹いっぱいなのに?

ククノチ そう。

ミッチ わからない。

ククノチ 人間は、私たち精霊と違って、変なの。

トキツチ いい? 孫文がなぜ日本にいるのか、という話をするわよ。

テナツチ 中国の、三国志という物語は有名だよな。中国は、いくつもの民族が衝突し、争いの絶えない国なんだ。

ハッチ それは知っている。

ヨモチ 大きく分けて五つの民族が争いを続けていたわけだ。(図を示し)清国という国は、この北の部分、満という民族の国なんた。

トキツチ そして、孫文は満民族に追いやられて南に棲む、漢という民族の人物だ。(図を示し)

アシナツチ 香港に近いところだな。

トキツチ 孫文は、満民族から漢民族に領土を取り戻そうと立ち上がったわけだ。

ヨモツチ (図を示し)そして、蜂起に失敗して日本に亡命する。さらに中国改革の、資金と同志を求めてアメリカ、イギリスへと渡る。

ハッチ だったら、なぜここ和歌山に来るわけ? 理由がないじゃない。

ククノチ それがあるのよ。イギリスに渡ったのが一八九六年のこと――。

ヨモチ これを見てほしい。

トキツチ ここ和歌山に住む南方熊楠と孫文の一生をまとめた年表だ。

テナツチ すごいシンプル。

ククノチ 熊楠は一八九二年から一九〇〇年まで、イギリスの大英博物館に籠ってひたすら勉強をしていたのよ。

アシナツチ 孫文がイギリスに渡った時期とちょうど、ぴったり――。

ヨモチ 日本を代表する博物学者と中国を代表する政治家は、なんとロンドンの大英博物館で出会ってしまったのだ。

トキツチ 孫文は医者にして、中国の改革者として注目されていた人物。

テナツチ 一方、熊楠は独学で一八カ国語をマスターした秀才――。

ヨモチ この頃の熊楠は、ここ(大英博物館の内部)で、世界中の植物学の文献を書き写していた。

ククノチ 孫文は熊楠を一目見て――。

アシナツチ この人はすごい学者だ――。

テナツチ と、尊敬してしまうんだ。

ククノチ 男が男に惚れたのですね。

テナツチ 孫文は、中国改革のための資金や同士を集めるためにロンドンに渡ったはずなんだ。

アシナツチ ところが、熊楠と交流を深めただけ。

ククノチ 孫文は先に中国に帰る。政治のことはほとんどやらず仕舞い。

トキツチ 熊楠がロンドンでの勉強をやめて、日本に帰国したのが、一九〇〇年のこと。去年だ。

ヨモチ 日本を出て、アメリカ、中南米、イギリスと渡りただ勉強に明け暮れ、一四年ぶりの和歌山だった。

アシナツチ 素寒貧で、博士号の一つもとることなく、郷里に戻る。

テナツチ 普通の人からみたら尊敬できることは、一つもない。

アシナツチ 家族からみたら、迷惑なだけだよ、熊楠は。

ククノチ 熊楠が帰国して、和歌山に帰ったちょうど一九〇〇年。去年ね。孫文は横浜の中華街に身を潜めていた。

アシナツチ 孫文は熊楠に逢いたくて仕方がない。

ククノチ 中国改革の協力者・横浜の温炳臣を伴って、わざわざ和歌山を訪れたというわけよ。

ハッチ 熊楠と孫文、奇跡的に出会っているよな。

アシナツチ フィクションだったらリアリティ、全くない話だぜ。

テナツチ さらに、孫文も資金や同士集めに忙しいのに、熊楠に会いたいだけのために和歌山まで来るんだもの。

アシナツチ わからん。人間は変な生き物だが、あの二人はとりわけ変わっている。

ハッチ 人が来る。

ミッチ 隠れよう。

精霊たち、影に隠れる。
孫文と温たちが出てくる。

温 孫文先生、私は一人だって帰りますよ。

孫文 温君、ちょっと待ちたまえ。熊楠とはぐれてしまうぞ。

温 私たちはもうはぐれているんです。既に、遭難しているんです。

子盈 餓死するかもしれません。

孫文 オーバーだな。

王創源、王美麗、胡金鵬、石超、劉小鈴の五人がやってくる。村人の格好である。

創源 皆様方どうなさいました。

温 人がこんなに? 地獄で仏とはこのことだ。私たちは遭難してしまったのです。

美麗 そうですか? お困りでしょう。

金鵬 すぐそこに私たちの村があります。

石超 うちの村で休息を取られると良いでしょう。

温 すぐそこに村があるのですか。遭難というほどではなかったかもしれませんね。

子盈 ちょっと道に迷っただけかも。

創源 私たちはこれから昼飯を食べます。

美麗 私たちと一緒にお昼を食べませんか。

金鵬 山菜を採ってきたところです。

石超 炊き込みご飯を作ります。

美麗 私たちは先に村に帰って、ご飯の支度をします。

創源 鈴子。君は支度が出来るまで皆さんを見晴らしの良いところへ案内したらよい。

小鈴 はい。

創源 では我らは先に村へ帰ろう。

石超 わかりました。

四人は帰って行く

小鈴 すぐ近くに海の眺めのよい場所があります。そこに参りましょう。

子盈 海の向こうには中国が見えますか?

温 呉子盈。和歌山の海からは中国は見えないよ。中国は西側つまり反対側なのだから

孫文 鈴子さんといったか。この辺りでは正月はどう過ごすんだい?

鈴子 ちょうど今ですが、今年は忙しくて正月どころではありません。

孫文 鈴子さん、今は二月だ。二月をお正月というのは旧正月を祝う中国人の習慣だ。

鈴子は目を逸らす。

温 あんたは日本人じゃないな。清国に派遣された孫文先生を暗殺するための兵士か。

子盈 孫文先生、どうして彼女が中国人だとわかったのですか?

孫文 農民にしては皆姿勢が良すぎる。軍人のように見えた。

孫文は、娘に近づく。

小鈴 兄の仇――。

小鈴は、鎌を振りかざして孫文に襲い掛かる。
温が守る。
小鈴は、立ち回りのあと、温を振り切り孫文に襲い掛かる。
小鈴が孫文に斬りかかる刹那――。

温 孫文先生!!(目を両手で覆う)

上半身をはだけた、熊楠が二人の間に割り込んでくる。

熊楠 (手に持ったシダをふりまわして)孫文! 見つけたわ! ユノミネシダや! こいつは常緑性の多年草なんや。根茎は長う伸びて横に這う。日本では二メートル程度やが、熱帯域ではツル状に伸びてなんと十メートルにまで達する例がある。アジア、オーストラリア、南アメリカ、アフリカと様々な大陸の熱帯から亜熱帯地域に分布するシダで、日本では鉱山跡や温かい温泉地に特異的に出現する。一八八七年に和歌山の湯の峰温泉で自生地が発見されたことからユノミネシダちゅう和名付いたんやが、まさかこの山でもお目にかかるとは。いやぁ、自然は常にワエを裏切ってくれる! たまらん! かえらし!(小鈴に気が付いて)……おい、この娘はなぜ鎌を持っているんや。

孫文 私を殺そうとしているんだ。私が兄の仇だそうだ。

熊楠 (孫文をかばって)あかん。それはあかん。娘さん、自然には生態系ちゅうもんがある。地球ちゅう惑星は、すべての動植物がお互いに支え合って、絶妙なバランスで成り立ってる。たとえ、木から葉っぱ一枚とっても、そのバランスは崩れてまう。孫文を殺したら、生態系が壊れてまう。

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