戯曲「龍馬疾風録」冒頭

龍馬疾風録
竹内 一郎
中島 直俊

登場人物
〈千葉道場および勝家〉
坂本龍馬
千葉さな子
勝海舟
千葉重太郎
堀川蓮之丞
勝民子
(千葉道場門下生)
山岡
津本
赤胴
〈試衛館〉
近藤勇
土方歳三
沖田総司
〈長州藩〉
高杉晋作
〈イギリス公使館〉
東徳之進
アーネスト・サトウ
北沢英輔
イギリス兵5名程度
〈遊郭〉
茜太夫
華世
小雪
遊女5名程度
〈薩摩藩〉
大久保一蔵
東郷平八郎
〈その他〉
波川

プロローグ

明治三十一年二月二六日 勝の家の前。
水面に釣り糸を垂れアクビをしている勝海舟、舞台袖より勝の付き人、波川が走ってくる。
波川 勝先生!
勝 あー、うるせえなぁ。魚が逃げちまうだろうが。
波川 魚じゃないですよ。こんなとこで何しているんですか!
勝 何って、釣りに決まっているだろ?
波川 今日をなんだと思っているんです?今日は授与式です!
勝 なんの?
波川 なんのって……はあ、先生、旭日大綬章ですよ!先生のこれまでの功績をたたえて、国がじきじきに勲章を下さるんですよ!
勝 波川君よぉ。代わりにでといてくれねぇか?おいら今日はなんにもしたくない気分なのっと(竿を振る)。
波川 何をおっしゃっているんです。先生の偉大な功績は、受賞という名誉に十二分に。日本国海軍の礎を築きあげ、海軍の父と謳われ。一八六〇年には江戸城の無血開城を成し遂げられました。維新後、路頭に迷った旧幕臣の生活保護を名目に人材を起用し、横浜港を発展させ、静岡を茶の生産全国一位にしたのは先生です。
勝 そんなもん、たまたまだよ。
波川 それだけではありません。維新の立役者、土佐が生んだ傑物、坂本龍馬を育てたのは勝先生ではありませんか。
勝 お前さんも龍馬が好きかい?
波川 日本男児に生まれついて、その名を聞いて奮い立たぬものはいないでしょう!
勝 (笑う)そうだった。確かお前さん、俺のとこへ来た時も、似たようなこと言ってたよなぁ。
波川 ですから、私も勝先生のもとで龍馬のような男に……。
勝 お前さんは龍馬がどんな男だったと思うね?
波川 どんなって……常に日本の未来を見つめ、武に優れ、豪放磊落、日本男児を絵にかいたような英雄です!
勝 アハハハハ(大爆笑する)。
波川 何がおかしいので?
勝 それ聞いたら、龍馬の野郎だって大笑いしただろうさ。
波川 違うんですか?
勝 あいつだって人間さ。馬鹿もやったし、ドジもやらかした。
波川 そうなんですか?
勝 俺があいつに会った時、あの野郎はまだ二十代の洟垂れだ。あいつはな。最初、おいらを殺しにきたんだよ。
波川 殺し?本当ですか?!
勝 テメェを殺しに来た奴に惚れる俺も俺だが――。ぶっ殺しに来た人間に弟子入りしちまうあいつは天下無敵の底抜けだよ。
波川 底抜けですか?
勝 底抜けの馬鹿。そうだなぁ。あの時代、どこもかしこも大馬鹿野郎ばかりだった。大馬鹿どもがこの日本って国を変えちまったんだよ。まるで風のように……、おいらは、その風が気持ちよくって、縁側で夕涼みしてただけさ。でもな。一陣の風が吹き抜けた後、カルタが表から裏に、見事にひっくり返った感じさ。風が凪いだ後も、縁側に一人座ってるマヌケは、寂しいもんだよ。
波川 ……先生と龍馬は、一体どのように出会ったのですか?
勝 聞きたいのかい?……そうだな。愚痴のついでだ。話してやるよ。幕末って時代を一陣の風のごとく駆け抜けた底抜け野郎のことを……。
――暗転

一幕

文久二年十月
千葉道場
山岡、津本、赤胴以下、数人の門下生が竹刀で打ち合っている。それを尻目に、大あくびをしながら坂本龍馬が舞台袖から現れる。龍馬に気づき手を止める門弟たち。
山岡 あ、坂本さん、おはようございます!
門弟全員 おはようございます!
龍馬 (眠そうだ)おはよう。
その時、時を告げる鐘が鳴る。
龍馬 おはよう……ちゅうても、もう日も午の刻ですのう。早起きは三文の得というが、たった三文なら、寝てた方がよっぽど得じゃないか。
赤胴 それはそうだ。
津本 納得するな。
山岡 坂本さん、一手、ご教授願えませんか?
竹刀を構える山岡。
龍馬 あ?いいや、わしはまだ眠いき。。
山岡 ええ?
龍馬はそういうと、道場の脇にゴロリと寝ると高いびきをかき寝てしまう。
津本 あの方が、坂本龍馬ですか?
山岡 ああ。
津本 千葉道場きっての剣才で北辰一刀流免許皆伝、四年前の安政剣術試合では当時敵なしと言われた練兵館の桂小五郎を打ち負かした大剣豪ですよね?
津本 こう言っては何だが、その噂間違いではありませんか。
山岡 三ヶ月前に土佐から江戸に戻ってきて以来、ずっとあの調子だ。
津本 脱藩してきたという噂は本当ですか?
赤胴 脱藩?大罪じゃないですか?! 自分でいっているだけだと思いますよ。
山岡 いや、本当だ。しかし脱藩という大罪を犯してまでなすべき志があるのかと思いきや、あれではただの昼行灯ではないか。
失笑する門弟たち、その時、その前を千葉重太郎が通り過ぎようとする。その後ろを千葉さな子が追いすがる。
さな子 お兄様、お願いですから、考え直してください!
重太郎 ええい!離せさな子!
さな子 千葉家の跡取りをみすみす人殺しになど出来ません!
重太郎 人殺しだと?!違う!これは天誅だ!私はこの身が路傍の躯に成り果てようと、奸賊、勝麟太郎を討つ!
さな子 勝様を殺す事がどうして日ノ本のためになるのですか!
重太郎 わからんのか?
さな子 お兄様が言いたいことはわかります。黒船来航以来のわが国での攘夷論、勝様は幕臣でありながら、これを良しとしない弱腰の考えとか。
重太郎 わかっているじゃないか。
さな子 日本男児ならば外国から来た敵など、毅然とした態度で戦うべきです!
重太郎 その通りだ。
さな子 ですが!お兄様がみすみす手を汚すのを千葉家の女として見過ごすことは出来ません!
重太郎 そこをどけ。
さな子 お兄様、私、お兄様のその何にでも熱くなれる性格を尊敬いたしております。
重太郎 お前、俺を馬鹿にしていないか?
さな子 ええ、まあ。少し。
重太郎 あのなあ。
さな子 ですが今はご自身の立場というものも少しはお考え下さい!
重太郎 うるさいっ!
さな子 お兄様……。
重太郎 俺は行く!止めるな、さな子!
さな子 ……しょうがありませんね。みなさん!
さな子は、手をスッと挙げると、それを合図に門弟たちが重太郎の前に並ぶ。竹刀を構える門弟たち
重太郎 ほう、実力行使か。
さな子 こんなこと本当はしたくはありませんが……みなさん、やってください。
山岡 いいのですか?
さな子 かまいません。怪我の一つもすれば、お兄様も目が覚めるでしょう。
その瞬間、重太郎の後ろにこっそりと近づいてきた龍馬は、重太郎にカンチョウを決める。突然のことに悶絶し、気絶する重太郎。
さな子 坂本様!?
龍馬 うわぁ!こりゃイカン、重さん!しっかりせい!こりゃあイカン、白目むいちょる。ここは、わしが見ちょるき。おまんらは奥にいっちょき、ほれほれ、行った行った。
門弟たちは舞台をはける。
龍馬 ほら、さな子さんも。
さな子は憮然とした表情のまま、舞台をはける。
龍馬はその後姿を見送って、しばらくして、重太郎の頬をはる。
龍馬 ホラ、重さん起きぃ!
重太郎 おう!龍さん?!あれ?さな子達は?
龍馬 うるさいき、奥へ引っ込んでもらった。行くぞ。
重太郎 行く?行くってどこに?
龍馬 きまっとろう。おんしの言う勝んとこじゃ!
重太郎 えっ?
龍馬 わしゃあ重さんに助太刀するぜよ。
重太郎 えっ?心の準備が……。
龍馬 わけわからんことほたえな!おら行くぞ!
重太郎を引きずるように行く龍馬。
――暗転

勝の屋敷門前
門の近くに川があり。そこで汚い百姓の格好をした勝が魚を釣っている。そこにやってくる近藤勇、土方歳三、沖田総司の試衛館三人。三人は勝に気づかない。
門前をウロウロする近藤、それを見ている土方と沖田。
土方 近藤さん、本当にやるのかい?
近藤 当たり前だろうが!トシ、お前まさか怖気づいたのか?!
沖田 いやぁ、どっちかっていうと近藤さんの方が……。
近藤 何か言ったか総司?
沖田 いえ何も……。
土方 俺は、近藤さんについていくって決めたからな。勝だかなんだかしらねぇが、近藤さんが斬れというなら、俺は斬る。
近藤 ちっ……。
沖田 僕はあんま乗り気じゃないな。
近藤 我々は日ノ本のため奸賊勝麟太郎を斬らねばならんのだ!
沖田 そこがわかんないんですよねぇ。奸賊って言ってまいすけど、なぜそんな嫌われているんですか?
近藤 それはぁ……。
その時、舞台袖から龍馬と重太郎が連れ立って歩いてくる。龍馬と重太郎も、川で魚釣りをしている人間が勝だとは気づかない。
龍馬 重さん、勝っちゅう男は何もんじゃ?
重太郎 龍さん知らずに付いてきたのか?!
龍馬 知らん。
重太郎 まいったな。九年前に浦賀に黒船が来たのは龍さんだっておぼえているだろう?
龍馬 忘れるかい!あの黒船の見事な事!ほんに心が震えた。なぁ重さん。あれを買うにはなんぼ銭が要ると思う?
重太郎 知るか。とにかくだ。異人どもがあれに乗って、この日ノ本にやってきた。そして異人どもは、この国の港を開放しろと迫ってきた。
龍馬 ほうじゃの。土産の一つも持ってこんと、他人の家に土足で上がるのは許せん!どうしてもというなら銭を払え!
重太郎 金の事ばっかだなあんたは!そこで生まれたのが攘夷論だ。異人どもを我ら侍の手で追い出すという思想だ。当然、この国の柱である幕府はこの思想を貫くと思った。ところがだ!幕府の弱虫どもは、武力で脅され、外国の言いなりになる始末。そして、件の勝麟太郎だ!
龍馬 ほう!
重太郎 勝は、幕府の軍艦奉行という重役にありながら攘夷論を否定し、あまつさえ、異人どもに取り入れと言うのだ!
龍馬 おお!
龍馬は重太郎の演説に拍手を送る。近藤と魚釣りをしていた勝も拍手を送る。恐縮する重太郎。
近藤 そういうことだ!わかったか総司!
沖田 近藤さん何も言ってないし……。
近藤 いやぁ、素晴しいご高説、思わず聞きほれました。
重太郎 あなたは?
近藤 おお、これは失礼、拙者、天然理心流道場試衛館塾頭近藤勇と申す。
重太郎 天然理心流、試衛館……(声を潜め)龍さん、知ってる?
龍馬 いや、知らん(明るく)。
土方 聞こえてるよ。
重太郎 いや……。
近藤 (笑う)知らぬのも無理はない。しがない田舎道場ですから。
重太郎 いや、その……。
近藤 して貴殿らは?
重太郎 私は北辰一刀流千葉定吉道場師範千葉重太郎です。そしてこちらが……。
龍馬 門弟兼居候の坂本龍馬です。
土方 北辰一刀流……ケッ、江戸の小千葉か。大道場のボンボンかよ。
近藤 こらトシ!
沖田 (笑う)土方さんって心底有名所が嫌いですよね。
土方 黙ってろ、総司。
近藤 申し訳ありません。そっちの態度の大きいのがわが道場の師範代土方歳三、でこっちが……。
沖田 謙虚な割に実力のある、同じく師範代の沖田総司です。
重太郎 自分で謙虚っていってる……。
土方 千葉重太郎さんといったか、あんたも俺達とご同様ってところだろう?
重太郎 なんのことです?
土方 あんたも勝を斬りに来た。だろう?
近藤 そうなのですか!それは心強い!
土方 近藤さん!
近藤 なんだ?トシ。
土方 残念だが、そいつは出来ねぇ。その大仕事に江戸の大道場が絡んだとなっちゃ、俺達イモ侍の存在なんて吹き飛んじまう。みすみす手柄を横取りされるんだぜ?勝をやるのは俺達だ。だろう?
近藤 その通りだ!
重太郎 龍さんどうしよう?
龍馬 わしゃあ重さんに付いてきただけじゃき。
重太郎 それなら……。
その時、土方は刀を抜きはらう。
土方 近藤さん、こいつらも勝のついでにぶった斬ろう。
重太郎 えっ!
近藤 何を言うんだトシ!
土方 江戸小千葉の師範を斬ったとなりゃ、俺らの名はますますあがる。
土方 俺達は武士として成り上がる!そうだろ近藤さん!
近藤 トシ……。
重太郎 いたしかたあるまい!
重太郎も刀を抜く。
龍馬 ありゃ、重さんやるんかい?
近藤 もう!しょうがねぇ!総司、やるぞ!
総司 はいはい。
龍馬以外の全員が刀を抜く。
重太郎 おい!多勢に無勢だ!龍さん?助けてくれ!
土方 こちとらお上品な一流剣術じゃないんでね。下品な田舎剣術、心ゆくまで堪能しやがれ!
沖田 実際こういうときだけ生き生きするよね土方さん。
襲ってくる二人、応戦する重太郎。
重太郎 龍さん!
龍馬 助けたらなんぼくれる?
重太郎 リョーサーン!
龍馬 だがのう。重さんよぉ。こんな斬り合い一銭にもならんじゃろ?
重太郎 銭金いっているときじゃないだろう。
土方 お手てが留守だぜ?
つばぜり合いになる土方と重太郎。
重太郎 わかった!今日の昼飯おごる!
龍馬 たった一日? いやなこった。
重太郎 何日ならいいんだ。
龍馬 十日。
重太郎 十日分? ぼり過ぎだ。負けろ。
龍馬 しょうがないのお。じゃあ、中をとって――。
重太郎 よし手打ちだ。
龍馬 九日分だ。
重太郎 九日? 一と十で中とったら、五だろう。五日じゃないのか。
龍馬 誰が真ん中とるっていったよ。俺は中とってといったんだ。中ならどこをとってもいいだろう。
重太郎 汚ねえ。龍馬、お前は骨の髄まで侍の仮面をかぶった商人だ。
龍馬 じゃあ、やらんでいいのか。
重太郎 わかった。九日分払う。
龍馬 よっしゃ乗った!
刀に手をかける龍馬だが、その時、龍馬の腹を押さえる。
龍馬 やっぱりなし。朝飯食っていないの忘れていた。腹が減って力がでん。
龍馬の変わり身に全員がズッコける。
その拍子に土方と重太郎のつばぜり合いも解ける。
その時、魚釣りをしていた勝が立ち上がる。そして釣った大魚を片手に持ち、土方の後ろまで行くと、その魚で土方の頭を思いっきり叩く。うずくまる土方、続けてあっけに取られる沖田、近藤、そして重太郎の頭を魚でぶん殴る。そして龍馬の顔を見て少し考える。
勝 ついでだ。
勝は龍馬も殴る。
土方 何しやがる!
勝 そりゃこっちの台詞だよ。人んちの前でわいのわいの、うるっせぇったらねぇ。魚が逃げちまうんだよ!それにそこの兄さん(龍馬)の言う通りだ。おめぇ達はさっき勝を斬りにきたとか言ってたじゃねぇか!いいか!一個目的があるなら、私怨、私情なんぞ知ったことか、その目的に向かってつっ走れ!わき道に逸れるんじゃねぇ!それができなきゃあどんな目的だろうが達成できるわけがねぇんだよ!
近藤 ちっ……。
土方 ケッ百姓風情が偉そうに。
勝 バカタレ、百姓ほど偉い人間はいねぇぞ?
その時、舞台袖から堀川蓮之丞が走ってやってくる。
堀川 勝先生!
勝 おう、堀川君!
土方 えっ?勝っ?
堀川 もう、勝手にいなくならないで下さい。
勝 いいじゃねぇかよ。
堀川 それになんですかその格好は?
勝 この格好の方が不思議と魚が釣れんだよ。やっぱ魚も強面の侍なんぞより、百姓の方が好きみてぇだな。それに、このカッコしているとたまに魚以外のもんが釣れるみたいでねぇ。
龍馬 じゃあ、このオッサンが勝海舟?
龍馬たちにニヤリと笑う勝、龍馬たちはあっけに取られている。

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