明日咲く
作さい ふうめい
配役
レコード店の主人（一木軍曹のその後) 八二歳
宗方少尉 二六歳
一木軍曹 二四歳
星軍曹 二四歳
吉見伍長 十七歳
玉井（永久旅館の主人) 五六歳
知恵（玉井の娘・星の恋人) 二二歳
志水中尉 三二歳
節（宗方の母) 五二歳
吉見の父 四七歳
芳江（レコード店の主人の孫) 十八歳
プロローグ。
二〇〇三年八月一四日、夜――。
大きな暦があってもよい。
レコード店「スイング」の店内。
店の主人（老人といってもいい年齢）が、一枚のレコードを取り出す。
古ぼけたジャケットから、レコードを取り出す。レコードはかつて真っ二つに割 れたものを貼り合わせてある。
主人の心の声 ……あれから５８年が経ったのか……。
主人はプレーヤーにかける。
曲は「明るい表通りで」――。
ルイ･アームストロングの歌である。
一回転に二度、レコードの傷が音楽のノイズとなって聴こえてくる。
暗転
一九四五年八月一四日、夜八時頃――。
特攻基地･知覧の近くにある「永久旅館」。
特攻隊員たちが、家族と最後の別れをする場所である。
宗方少尉（二六歳）、一木軍曹（二四歳）、星軍曹（二二歳）、吉見伍長（十七歳）が酒を呑んで、陽気に語らっている。四人は明朝出撃の命令を受けている。
部屋の隅に、永久旅館の主人･玉井（五六歳）、その娘･知恵（二二歳）が給仕のためにいる。
宗方 さあ、次の一番だ。（布を裂いて、作った四本のくじを差し出す）誰から引く？ 勇猛果敢の一木軍曹が、一番くじかな。
一木 俺が外れをひくものか！ 気合で！ 渇！（くじを見せる）どうだ。（くじは長い）
宗方 では、次。星軍曹。
星 任せてんか。（神戸訛りである）天の神様のいう通りや。（くじを引く）ホレ。わいやないでえ。
宗方 次は吉見伍長。連敗記録を伸ばすか。
吉見 宗方少尉。今度こそは少尉殿の読みは外れましたよ（くじを引く）ほら。（くじは短い）
星 また、吉見伍長かいな。傑作や。
吉見 参ったな。では、宗方少尉。お題を。
宗方 そうだな。（考えて）
星 少尉。これはどうでっしゃろ。猿に求愛する鶏。
吉見 何ですか、それは。
宗方 面白い。それで行こう。
吉見 えっ？ 本当にやるんですか？
宗方 面白いじゃないか。吉見伍長。やれ。
吉見 参ったな。こうなったらどうにでもなれっていうんだ。行きますよ。腹の肉がよじれても知りませんよ。
吉見はパントマイムで演じる。鳴き声は入れる。
残りの三人は、腹を抱えて笑う。
星 吉見伍長。傑作や。貴様、日本一の太鼓もちなれるで。
吉見は熱演で、上着のボタンを外し、上着をパタパタと羽のように動かす。
勢いよく上着を振った拍子に、内ポケットに潜ませてあった遺書が飛び出してしまう。
宗方が拾う。
宗方 これは大切にしまっておけ。
吉見 失礼いたしました。自分、字が下手なものですから。大事なときに格好がつきません。習字の時間にちゃんと勉強しなかったことが悔やまれます。
宗方 星軍曹。準備は出来ているのか。
星 まだであります。
宗方 一木軍曹は――。
一木 自分は遺書など書く予定がありません。親族はおりませんから。
宗方 そういうな。友人も恩師など、世話になったものもあろう。（玉井に)玉井さん、墨と硯を用意して頂けますか。
玉井 はい。
玉井と知恵で卓の上に、紙と筆一式を並べる。
部屋は暗くなる。
宗方は卓の少し離れた場所に座っている。
宗方 （自分の遺書を黙読する）倫子並びに生まれてくる愛し子へ。
父は選ばれて攻撃隊長となり、隊員三名と共に決戦の先駆となる。死せずとも敵に勝つ術あらんと考ふるは常人の浅墓なる思慮である。必ず死すと定まりて、敵に全軍総当りを行ひて、道は開くるものなり。勝敗は神のみぞ知り給ふ。真に国難と謂ふ可なり。父は死しても死するにあらず。悠久の大義に生くるなり。
一、寂しがりやの子に成るべからず。
母あるにあらずや。父もまた幼少に父母病に亡くなれど、決して明るさを失はずに成長したり。まして戦に出て壮烈に死せりと聞かば、日の本の子は喜ぶべきものなり。
父恋しと思はば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑て迎ふ。
二、素直に育て。
戦い勝ても国難は去るにあらず、世界に平和のおとづれて万民太平の幸を受けるまで懸命の勉強をすることが大切なり。
三、御身らの母は真に良き母にして、父在世中は飛行将校の妻数多くあれども、母ほど日本婦人として覚悟あるもの少なし。父は常に感謝しありたり。戦時多忙の身にして真に母を幸福に在らしめる機少し。父の心残りの一つなり。御身成長せし時には父の分まで母に孝養尽せらるべし。これ父の頼みなり。御身らは母、祖父母に抱かれて真に幸福に育ちたるを忘るべからず。書置くことは多けれど大きくなつたる時に良く母に聞き、母の苦労を知り、決して我儘せぬよう望む。
陸軍少尉 宗方 清
吉見が震えている。
一木 吉見。どうした。
吉見 なんでもありません。
一木 貴様、死が怖いか。怖気づいたな。貴様、それでも帝国軍人か。俺が性根を叩きなおしてやる。我らは既に神なるぞ。神に恐れがあるか！
宗方 一木。待て。ここにいるもの、皆覚悟は決まっているんだ。覚悟を決めたから、怖いのだ。
吉見 （一木に)自分は覚悟は出来ております。
宗方 よし、酒だ。呑むぞ。せめて今夜は笑って過ごそう。
一同賑やかに酒を注ぎ合い、呑み始める。
襖が開く。
志水中尉が立っている。
宗方 志水中尉。（敬礼）
他の者も敬礼。
志水 明朝出撃予定の特別攻撃隊･第四三四振武隊の隊員に伝達事項がある。本日夕刻、燃料輸送トラックが、敵機の襲撃に遭い、明朝出撃予定の燃料が三機分のみとなってしまった。従って、明朝の出撃は、三機のみである。一名は残り、第四三五振武隊に合流して貰う。誰が残るかは、お前たち四人で決めよ。以上。
星 志水中尉。
志水 何だ。星軍曹。
星 四人のうち一人が残るということは、隊長も含めてですか。
宗方 星。
志水 当然だ。
宗方 ！
志水 特別攻撃隊は殉国の同志である。階級の上下はあっても全て同志である。従って、隊長にも人事並びに賞罰の統率権はない。それ故に特別なのだ。宗方少尉が残ることがあれば、市木軍曹、あるいは星軍曹が隊長になる。他には。
宗方 ありません。お役目ご苦労様です。
志水 今日はゆっくり休んでくれ。
志水は去る。
宗方 誰が行くか、決めなければならない。
一木 私は明日行きます。お国のために散る覚悟は出来ております。
星 私も行きます。
吉見 私も。私も行かせて下さい。
一木 （吉見に）無理するな。吉見、震えているぞ。貴様が残れ。隊長、それでいいですね。明日行くも、明後日行くも、同じことではないか。
星 一木軍曹。隊長でもない貴様が、隊の決定をするのは僭越だぞ。（宗方に）吉見でいいのですか？
宗方 ……今、考えている。
一木 宗方少尉が一日残ってくだされば、自分が隊長として出撃することができます。軍人として、こんな名誉はありません。
星 貴様。
玉井が入ってくる。
玉井 宗方さん。面会です。
宗方 俺に？
玉井 人吉から、お母様が。
宗方 母が？
宗方は部屋を出て行く。
部屋は暗くなり、玄関口が明るくなる。
玄関には、宗方の母･節が立っている。
宗方が出てくる。
宗方 母ちゃん。
節 清。
宗方 どげんしたと？ 来んでよかち、いうたやんね。
節 そげんいうたっちゃ、あんたの顔ば一目だっちゃ、見たかち、思うて。もう、じっとしておられんと。
宗方 よう来てくれたね。父ちゃんは？
節 もう、膝の悪かけん、歩かれんと。
宗方 田鶴子は、どげんね。予定日の近かろう？
節 産婆さんは、明日の午後ち、いよっちゃる。
宗方 明日の午後？ 田鶴子の傍におらんでよかとね。
節 大丈夫。明日の朝まで、幸子おばちゃんに頼んどっと。田鶴子も、あんたの嫁やけん、しっかり頑張ってくれとる。あんたの出撃が、もう一日遅かったらねえ。生まれてくる子に、父ちゃんの顔ば見せてやるっとにねえ。
宗方 生まれたばかりの子には、親の顔はわからんたい。
節 そげなこつはなか。目は見えんでちゃ、親の顔はわかるもんたい。お前の顔ば見せてやりたか。
宗方 ……そげんこつはいわんでくれんね。おいは隊長ばい。隊員に示しのつかん。母ちゃん、今日はありがとうね。
節 （風呂敷から瓶を出し)清。隊員の皆さんに、食べて貰うて。
宗方 ぜんざいね。
節 あんたの好物やけんね。
宗方 ……どこから砂糖ば手に入れたね。
節 砂糖ぐらい、どげんでんなると。（手渡し)ほら。食べて。
宗方 ありがとう。母ちゃん、おいは、三国一の幸せものたい。
節 清。しっかり、お国のために働いてください。
宗方 うん。わかった。今夜はどこに泊まっと？
節 田鶴子の待っとるけん。最後の汽車で帰る。
宗方 （時計を見て)もうすぐ出るやんね。そんなら、駅まで送る。
節 （奥を見て)隊長のおらんで、よかと？
宗方 少しの間なら、よか。
二人は出て行く。
玄関は暗くなり、部屋が明るくなる。
知恵が泣いている。
傍に星がいる。
星は知恵の手を握っている。
知恵 明日の朝までしか、一緒にいられないなんて。信じられない。もう一日いられるんでしょ？ お願い。いて。
星 それは無理や。
知恵 いや……。星さんと過ごした時間、あまりにも短い……。
星 その間も、わいは訓練漬けやったしな。だが、わいは、知恵と出会えただけで、幸せや。今はお前が幸せに生きてくれることを祈るのみや。お前のお陰で、祈りの心を知った。人が祈らずにはおられん気持ちを。わいの分まで、幸せに生きてな。
知恵 星さん……。
知恵は部屋の外に置いてあった、風呂敷包みを持ってくる。
知恵 これ。（包みをほどく。中からトランペットが出てくる)
星 トランペットかい。
知恵 質屋さんに頼んでおいたの。やっと手に入ったって、さっき届けてくれて。教えて。私に教えてくれるって、約束したじゃない。
星 うん、教えたる。こうや、こことここ抑えて。これが「ド｣や。
知恵は吹く。
音は出ない。
星 トランペットは、音が出るまでが難儀なんや。こうやって、口をすぼめて、唇で音を出すんや。
知恵 吹いて。
星 あかん。夜に、トランペットの音が聞こえたら、みんなびっくりするわ。時間がないさかい、指だけ教えたる。吹くかっこだけしてみ。
知恵は吹く真似をする。
星 堂にいっとるがな。「ド｣「レ｣やろ。「ミ･ファ･ソ･ラ･シ･ド｣。そうや、そうや。吹くのは、自分で勉強したらええ。
知恵 今教えて。
星 この時間やし――。
知恵 全部教えて。教えてくれるって約束したじゃない。
星 お前、無理や。
知恵 ……。
星 わかった。戦争が終わったら、米国のニュー･オルリンズちゅう街でジャズ教わったらええ。わいのジャズ仲間がいっぱいおるさかいに。お前、みんなに日本で星の恋人やったいうたら、それだけで優しくしてくれる。わい、ニュー･オルリンズでは有名人や。名前が星やから、ジャパニーズ･スターというのが通り名やった。知恵。戦争が終わったら、日本にジャズ広めたれ。
知恵 大丈夫かな。敵性音楽だから……。
星 この戦は米国が勝ちや。戦が終われば、みんなジャズやりおるわ。わいの目が正しかったことがみんなにわかる。いいか、星健二郎は、音楽学校でただ一人、クラシックの勉強ほったかかしにして、ジャズに夢中になった男や。日本人で最初に、ジャズ発祥の地･米国のニュー･オルリンズでジャズを勉強した男や。ジャズには人の心を打つ真実がある。わいはほんまもんの音楽やと思う。それを敵性音楽やなんて、とんでもない間違いや。音楽に敵も味方もあるかい。いいか。知恵。お前がジャズを好きになって、日本にジャズを根付かせてみい。俺の夢は叶ったも同じや。そう思わんか。
知恵 うん。頑張る。……（泣いている)
星 どうした？
知恵 私、もっと星さんと一緒にいたい。
星 無理いうな。
知恵 一日でも、長く一緒にいたいの。（崩れ落ちる)
星 知恵。少し風に当たろう。
部屋は暗くなる。
帳場の前が明るくなる。
吉見は電話で話している。
吉見 今、どこ？ 倉敷？ どうしてそんなところに。汽車が空襲でやられた？ で、母さんは？
吉見の父親がサスで浮かび上がる。
父 病院で手当てを受けている。大丈夫。軽い怪我だから。
吉見 よかった。でも、香川にいた方が安全だったね。
父 何を言っているんだ。お前と最後の別れができないなんて、悔しいを通り越えて、無念だ。
吉見 大丈夫。俺は立派にお国のために働いてくるよ。
父 明久。一目だけでも、お前に会いたかった。母さんも俺もだ。
吉見 汽車がないんじゃ、仕方がないよ。実はさあ、今日父さんと母さんが来たら、俺がつくったうどんを食べてもらおうと思っていたんだ。
父 お前、うどんをつくったのか。
吉見 旅館の厨房を借りたんだ。店にいるときは、俺がいくら頑張っても、父さんの味が出せなかったろう。俺は叱られてばかりいた。
父 すまん。教えてやればよかったな。俺はお前に自分でコツを掴んで欲しいと思って……。
吉見 俺は教えて貰わなくてよかったと思っているんだ。実は、大阪で訓練があったとき、休みの日に松葉屋で働かせて貰ったんだ。
父 松葉屋――。
吉見 そう、父さんが若い頃修行したという店。俺その店で働いてみて、気付いたんだ。何故俺の出し汁が美味くならないのか。
父 違う。お前の出し汁はもう十分美味かった。父さんが……。
吉見 いや、うちの店で出す以上、父さんが作ったように、出し汁に醤油を使わずに美味いうどんを作らなくちゃいけなんだよ。
父 いや、お前が継ぐときは、お前の味でいいんだ。
吉見 聞いてくれる？ 父さんの隠し味はこうなっているだろう？ 焼酎を寝かせた味醂、能登の塩、真昆布、屋久島の本節、西伊豆のメジカ節――。
父 焼酎は癖のない米焼酎、真昆布は根室産だ――。
吉見 父さんと、うどんの作り方、もっと話し合いたかった。
父 明久。俺もお前となら、もっと美味いうどんが作れた。（涙声)
吉見 俺、父さんと母さんの子供で本当に幸せだった。
父 明久。汽車が出たら、そちらに向かう。
吉見 もう間に合わないよ。
父 いや、行く。明日台風が来るかもしれないじゃないか。一日出撃が遅れれば会える。
吉見 本当にいいんだ。どうもありがとう。
父 明久。明久……。
吉見は受話器をゆっくりと置く。