からくり儀右衛門
――技術で明治維新を支えた男
作 竹内一郎
●登場人物
田中 儀右衛門 八歳
田中 儀右衛門 若い時代
田中 儀右衛門 青年以降
田中 与志
田中 弥右衛門 儀右衛門の父
田中 たえ 儀右衛門の母
からくり師(博多座)
黒崎 六平
川辺 善吉
古賀 徳松
徳永 カツノ
三郎
庄平
井上 お伝 久留米がすりの創始者
牛島 マス
斎藤 キクノ
大塩 平八郎
ゆう 大塩平八郎の妻
庄司 儀左衛門 洗心洞の門下生
大井 庄市郎 同
深尾 治兵衛 同
十文字屋
手代1
手代2
佐野 常民 佐賀藩士 後に日本赤十字社を創設
枝吉 神陽
大隈 重信
副島 種臣
中村 奇輔 化学の権威
石黒 寛二 蘭学者 語学が堪能
鍋島 閑叟 佐賀藩主
田中 大吉 二代目儀右衛門
石黒 慶三郎 アンリツ創設者
沖 牙太郎 沖電機を創設
客1
客2
客3
客4
飯田総次郎
増山
第一幕
闇の中――。
無数のからくり人形が動いている。
からくり人形は、いつしか大きな塊になり、それが一体の大きなからくり人形になっていく。
語り手が三人立っている。
この芝居では、語りの部分を適宜、演者がパントマイムで演じる。
また、語り手は、全ての出演者が入れ替わって演じる。
語り1 ようこそいらっしゃいました。からくり儀右衛門は、江戸時代末期には見世物小屋のからくり人形師でした。その後、発明家として技術で明治維新をけん引し、東芝の前身となる会社を興します。
語り2 儀右衛門が発明したものは多岐にわたります。(以下、スライドを映しながら)無尽灯。空気圧を利用した一晩中消えない照明装置です。蒸気機関やアームストロング砲。こちらは外国にあったものを自分で工夫して創りました。
語り3 そして、現在は科学博物館にある有名な万年時計。一面の文字盤は洋式の時計。二面は和式の時計。四季や昼夜の長さに合わせて、時間が自動的に調節されます。三面が和式のカレンダー。四面は曜日と時間。
語り4 五面は十干十二支。干支のことです。六面が旧暦の日付。月の満ち欠けも表します。上部は天球儀。日本地図の上を太陽と月が軌道通りに回ります。
語り5 これだけが、たった二組のゼンマイで動きます。一度巻いただけで二二五日も止まりません。
全員(1-5) 二二五日も。
語り6 これは電信を使って日本中に時報を知らせる報時器。こちらはグラハム・ベルが発明した電話機を真似て作ったもの。
語り7 儀右衛門が作った会社には、こういう面々がおり、彼らは現在の沖電機、明電舎、アンリツ、東洋通信機、宮田工業、池貝鉄工などを興します。
語り8 全部はわからない。テレビにCMを出しそうな大きな会社かなあ、ということはわかりますが。
語り7 それだけわかれば十分。
語り9 実は儀右衛門には大きな謎があります。彼は東芝の前身となる会社を興したとき、
全員「万般の機械考案の依頼に応ず」
語り9 という看板を掲げます。
語り10 困っている人がいれば、どんなことでも引き受けましょうということです。普通は技術者として一生を生きると、必ず専門を持ちます。
語り11 建築家であろうとエンジンの設計者であろうと、仕事として打ち込むと、積み重ねができてそれが専門になっていくものです。
語り12 一生専門を持たない技術者というのは変ではありませんか。儀右衛門は、どんなことでも依頼があれば、何とか考えます、それもジャンルを問わずに、というのです。
語り13 技術者として大きな成功を収めた後に、「頼まれたら何でもやります。私にいってください」という感覚。
語り14 人生の晩年に自分の得意不得意をいわずに、人の要求に応える生き方は、なかなかできるものではありません。
語り15 何故、こういう人間ができたのか。
全員 何故、こういう人間ができたのか。
語り15 今日はその謎を解き明かしてごらんにいれます。(一礼して去る)
文化九年――。
幕末、天保の飢饉がくる少し前の時代である。
筑後藩(今の久留米市)の五穀神社(通外町五八)では、毎年七月に三日間「よど」と呼ばれる夏祭りが行われている。
笛太鼓の音が賑やかに聴こえてくる。屋台や出店も建ち並び、たくさんの参拝客で賑わっている。
一隅には、「久留米 原古賀 織屋 おでん 大極上誂」の看板を掲げた「久留米絣」の店も見える。店には、井上でんのほか、弟子の牛島ノシ、牛島マスも立っている。
中央に大きな「からくり人形 博多座」の看板が見える。
からくり師 さあ、お立ち会い。五穀神社の夏祭りにお集まりの、久留米のお客さん、これからお見せするからくりは、地元久留米のからくり人形とはモノが違う。何しろ、黒田五二万石の都・博多で大当たりをとった博多座のからくりだ。(芝居がかって)さあ、遠からんものは音に聞け。近くばよって目にも見よ。我こそは、九州一円にその名も猛き豊太閤が一番の知恵袋、黒田官兵衛孝高が一子、吉兵衛長政なり。いざ、尋常に勝負、勝負。
見物をしているのは、黒崎六平、川辺善吉、古賀徳松、徳永カツノ。
武者人形が二体出てきて、ゆっくりと刀を振り回すだけ。(人間が演じている)
みるからに退屈なからくり人形である。
六平 なんね、このからくりは、つまらん。
カツノ 去年とおんなじやんね。
からくり師 去年とはちがうばい。ようっとみんね。刀の柄の色が変えてある。
徳松 ああ、こげんとに金は使えん。向こうで、団子ば食べよう。
善吉 あんたんごたる者は、こん久留米じゃ、からくり師の仲間には入らんと。
からくり師 何か!
善吉 おお、儀右衛門のきたばい。
カツノ あん子がからくり儀右衛門ね。
徳松 久留米一のからくり師、からくり儀右衛門たい。博多のからくりやら蹴散らしてくれるくさ。
善吉 そげんいうたち、久留米は二一万石に過ぎん。五二万石の博多に勝てるはずのなか。
儀右衛門は台上に上がる。
儀右衛門 (見渡して)東西、東西。とざい、とおおお、ざいいいい。
からくり師 カッコつけすぎたい。このガキが。
儀右衛門 これから御開帳いたしますは、今だかつて誰の目にも触れたことのないからくり人形。ここ五穀神社の十里四方、いやいや四海万里、いやいや唐天竺を隈なく探しても、見ることのできない驚天動地の人形たちでございます。
人形が一体出てくる。(これも人間が演じる)
儀右衛門 こちらは弓曳童子。たった一本のゼンマイの力だけで、幾通りもの動きを連続して、矢を放ちます。矢は、必ず的に的中いたします。こちらは「茶くみ女中」ここに(天秤)重しをのせます。重しが、下に落ちる力で人形が動きます。
的に的中するたびに歓声を上げる見物。
的に当たると、人形はガッツ・ポーズをとる。
そして、四本目。矢は的を外れると、人形は「チッ」と悔しがる。
同時に「お茶くみ女中」が出てくる。
人形は、盆を持って出てくる。
鉄瓶から急須に湯を入れ、湯呑に次々、茶を注いでいく。
四つめの、湯呑にお茶を注ぎそこなって、「あっ、やだ」という仕草をし、こぼした茶を台拭きで拭いて、頭をポリポリとかきながら去っていく。
六平 まるで妖術のごたる。
カツノ 人形に、心のあるごたる。
徳松 こりゃあ、どげん考えたって、博多座より、からくり儀右衛門の勝ちばい。
儀右衛門 さあ、見物料をいただきますよ。
からくり師 まだ、がきやんか。お前、年はいくつない?
儀右衛門 13たい。
儀右衛門は、ざるを持ってまわる。
見物は、銅貨を投げ入れる。
一同、笑い。
そこに、井上おでんが血相を変えて近づいてくる。
おでんを、必死で止めるマス。
マス おでんさん、やめた方がよか。
おでん うんにゃ、やめん。おノシ、おマス、うちが一回いい出したら、日が西から出て、東に沈んだっちゃ、きかんことぐらい、知っとろうもん。おい、そこのにやがりもん。
儀右衛門は、無視して金を集めている。
おでん あんたのこってい。にやがりもん。
儀右衛門の手が止まる。
からくり師 (六平に)「にやがりもん」ちゃあ、何のこつね。
六平 儀右衛門のごたる奴のことたい。はねあがって、ふざけたこつばして、目立つ人間のこつば筑後では、にやがりもんていうと。久留米ではにやがりもんの三下がり、ちゅうて、結局ものにならんやつのことよ。
儀右衛門 何ばいよっか。おいはにやがりもんでん、三下がったあとに、十あがっちゃる。
おでんは、儀右衛門から矢の的を取り上げて調べる。
からくり師 (六平に)生意気ながき――! あっちの女傑は、誰ね。
六平 あん人は井上おでんさんというて、久留米がすりという新しか織物ば開発した人たい。
おでん 間違いなか。この布は、うちが織った久留米絣たい。
儀右衛門 おでんさん、おいに文句のあると?
おでん おおありたい。(人形の矢が当たった的を手にし)この的、穴のあいとるね。見世物の的にして、穴をあけられたら、かなわん。うちに謝らんね。
儀右衛門 謝らん。おいは、自分の金でこの布ば買ったとよ。
おでん うちが、どげな思いで、こいば織ったか、わかっとらんね。許さん。
儀右衛門 誰が謝るか――!
おでん 馬鹿!うちも若い時、にやあがりちいわれた。ばってん、あんたのにやがりはつまらん。
儀右衛門 なにがつまらんね――。
おでん 自分のためにしかやりよらん。腹のすわっとらん。
儀右衛門 はらが座るもんか。座るとは尻にきまっとる。はらで座ったら腹ばいたいね。
おでん この減らず口が!
周囲は、二人がもみ合うのを止める。
明転
語り1 この頃の儀右衛門はただのにあがりもんでした。
語り2 にあがりもん、目立ちたがりに過ぎなかったというのは次のような逸話からもうかがい知れます。
語り1 儀右衛門が九歳の頃、彼が寺子屋に通っていた時の話です。
寺小屋の一室。
大道具は不要。机と椅子の小道具だけがあればよい。
儀右衛門(九歳)の傍に二人の男の子、三郎、庄平がいる。
儀右衛門は、硯箱のとっての紐を引っ張っている。
儀右衛門 あらあ、こん硯箱、どうしたとやろうか。いくら引っ張っても、開かん。
三郎 儀右衛門。開かんこつがあるもんか。ちょっと貸してみろ。(三郎は、硯箱の紐を引っ張る)
だが、箱は開かない。
庄平 おいに貸してみんね。
庄平がやっても、やはり箱は開かない。
庄平 こいはもういかんばい。使えん。硯箱の使えんなら、習字の先生に絶対に怒らるったい。(習字の先生の真似をして)儀右衛門、こげんとば寺子屋に持ってきて。頭の上に太かお灸ばすえてやる。(大きなもぐさを頭の上に乗せる)
儀右衛門 やめてくれ!(と、硯箱を引っ張る)あっ、開いた。
庄平 あら、なんで? なんで開いたと?
儀右衛門 いや、引っぱったら開いた。
儀右衛門は、硯箱を閉めて庄平に渡す。
庄平 あら、開かん。儀右衛門、この硯箱に細工したろう? なんばしたか?
儀右衛門 当ててみんね。
三郎 わからんけん、ききよっと。教えんね。
儀右衛門 こん紐ば、ひねっと。ひねって引っ張ると、出てくるとたい。
三郎と庄平が硯箱を高く掲げ、下から見ると引き抜きの下の部分に留め具がついている。
庄平 これが引っかかって、出てこんごつなっとったとか。
三郎 紐ばひねって、この留め具が廻ると、出てくるごつなる。
儀右衛門 おいは、こいば「開かずの硯箱」と名付けた。
庄平 開かずの硯箱。
三郎 (同時に)開かずの硯箱。
明転
語り1 この逸話は、作り話ではありません。儀右衛門、九歳の時に本当にあったことです。
語り2 儀右衛門のこういう性格は、生涯続きます。三つ子の魂、百までもとはよくいったものです。
語り3 しかし、それだけなら、久留米の見世物小屋の人形師のまま終わったはずです。
語り1 儀右衛門は、おでんと出会い悩みはじめます。
語り2 おでんさんは、自分が作ったものに、あれほど命がけになれる。
語り3 自分は、自分のからくりに、あそこまで必死になれるだろうかと。
語り1 井上おでんは、久留米絣の創始者です。天明八年、一七八八年の生まれで、儀右衛門より十一歳年上です。幼少より織物が好きで、ある時、何度も洗濯した着物の藍色が、ところどころ色褪せてムラができているのに気付きました。
語り2 でんが、着物をほぐしてみると、糸は白と藍のまだらになっていました。このまだらにならって、織り糸をところどころ白糸でくくり、それを染料に漬け込むと、糸でくくった部分には染料が染み込まないために、織り上げると白くかすれます。
語り3 ところどころかすれるところから、かすりと名付けられました。
語り1 これをおでんが売り出すと、人々は「あられ」のようだ。「しもふり」のようだ、と珍重し、争って買い求めました。これが産業となり藩全体の経済までも支え、女たちが仕事を手に入れるという、地方都市では珍しい現象が起こっていたのです。
明転