なにもいらない
――山頭火と放哉
竹内一郎
第一部
登場人物
種田 山頭火
尾崎 放哉
和泉 桂子
放哉 (N)一九四〇年(昭和一五年)十月一日――。興亜奉公日――。興亜奉公日(こうあほうこうび)とは、国民精神総動員運動の一環と制定された生活運動である。国旗掲揚・勤労奉仕などが行われた。食事は一汁一菜とし、児童生徒の弁当は日の丸弁当にすることが求められた。
愛媛県松山にある、山頭火の庵・一草庵――。
夕方のことである――。
風の音しか聞こえない。
闇の中の一草庵に横臥している種田山頭火(58)。
脇で、和泉桂子が山頭火の洗濯した着物を畳んでいる。
和泉 (着物を部屋の隅において)着替えはここでいいですね。お夜食はここに置いておきます。
皿に乗ったおにぎりを置く。
山頭火 ありがとう。和泉さん、本当によくやってくれる。この乞食坊主の世話をしても、一銭にもならんのに。
和泉 私は、山頭火先生のお世話がしたくなったんです。
山頭火 ……。
和泉 では、私はこれで失礼します。また、明日きます。
山頭火 ああ。
和泉は去る。
山頭火は毛布をかぶって寝る。
放哉が、ゆっくりと出てきて、山頭火をじっとみている。
放哉 ……自らをののしり尽きずあふむけに寝る。
山頭火は、放哉の存在に気がついている。
眠ることを諦めて起き上がる山頭火。
放哉を見あげる。
山頭火 ……。
放哉 お前、まだ俺が怖いのか――。
山頭火 怖いもんか。
放哉 それは怖がっている目だ。
山頭火 そんなこといわれてもわからん。私には、自分の目は見えないのだから。
放哉 また――。
山頭火 また、何ですか?
放哉 理屈だ。
山頭火は笑い転げる。
山頭火 そうだ。
山頭火は笑う。自分の笑う姿がまた可笑しいと笑う。
山頭火 私は理屈っぽい。山頭火、まだ俳句を知らず、だ。では、理屈ついでにもう一つ。あなたは尾崎放哉なのですか?
放哉 そうだ。放哉だ。
山頭火 そうか、やはり放哉だな――。
放哉 では、昨日の話の続きをしようか。
山頭火 昨日? 何の話をしたっけ?
放哉 お前がどうして漂泊の旅を続けてきたのか、だ。
山頭火 ああ、そうか。私たちは、私がこの一草庵に住み着いて、ずっとその話をしているのだった。あなたは、飽きないのか?
放哉 飽きない。
山頭火 いい加減、疲れないか。
放哉 疲れない。俺には、飽きるということも、疲れるということも、わからん。ついでにいうなら、人には頭痛ということがあるらしいが、それがどういうことだかも知らん。
山頭火 うらやましい。少し、眠らせてくれないか。長年酒を呑み過ぎたせいか、体が弱っているようだ。
山頭火は、ごろりと腕枕で横になる。
放哉 寝たいなら、寝ればよい。俺は勝手に喋る。いいか、聞くなよ。俺は俺のためだけに喋るんだからな。
山頭火 無理だよ。そんなところで喋ったら、聞きたくなくても聞こえてしまう。東京帝大の法科を出た人の言葉とも思えない。
放哉 東京帝大の法科を出たといっても、卒業して四年も卒業証書をとりに行かなかった、そんな程度の出かただ。俺が帝大を出たのは、明治の末だった。就職難で学校を出ても仕事がまったくない時代だったが、帝大を出たというだけで、これっぽっちも労働意欲のない俺に、仕事があったんだ。卒業証書も持っていないのにだぞ。まったく世の中は間違っている。俺は本当のことをいうと、花形職業の銀行員になりたかったが、仕方なく保険会社に入った。
山頭火 あんた自慢しているのか。
放哉 自慢ではない。俺の人生には自慢することは何もない。俺は、酒が好きだった。朝、起きると庭に朝顔が咲いている。これで一句できそうだなと思うと、つい一杯呑みたくなる。同僚に一杯つけさせて、句を考えているうちに一本開けてしまう。おい、一本つけないか、といってもう一本つけさせる。そのうちにぐでんぐでんに酔ってひっくり返って寝てしまう。とうとう会社を休んでしまう。翌朝になると、朝顔が咲いている。今日は、句を作ろうと思って一杯呑む。一杯が一本になり、杯を重ねていくうちに句はできずに、そのまま寝てしまう。会社とは、知らず知らずのうちに疎遠になる。
山頭火 落語の与太郎だな。
放哉 そうかな。与太郎は人に愛されているが、俺は誰にも愛されていない。与太郎以下だ。(笑い)いやいや、俺にも自慢できるものがあったぞ。一高、東京帝大で、俳句の革新者、新体詩の旗手ともいうべき、荻原井泉水と同級生だったことだ。松尾芭蕉以来の俳句に、季語に捉われるな、五七五の定型に捉われるな、という新しい俳句の形式を生みだした井泉水と出会ったことで、俺の人生は天空に舞う大鷲のように伸びやかになった。
山頭火 井泉水先生も、あなたの俳句があったから、新体詩運動に大きく弾みがついたのだ。あなたの初期作品である「一日物いわず蝶の影さす」「沈黙の池に亀一つ浮上する」、この二つはまさに井泉水先生が、たどり着こうとしていた世界だった。先生は、あなたの作品を雑誌『改造』で絶賛し、主催する雑誌『層雲』で大きく取り上げた。私は、あなたの作品を遠くで眺めて、言葉を失うほど打たれてしまった。
放哉 (山頭火が起きていることに気付き)お前、眠たいのではなかったか。
山頭火 そうだ。私は眠たかった。(気付いて、また、寝転ぼうとするが)寝られるか!
放哉 (どんぶりの中にさいころを転がす)お前もやらんか?
山頭火 ちんちろりんか?
放哉 (やりながら)いや、たださいころを転がしているだけだ。
山頭火 だが、どんぶりの中にさいころを三つ転がしたら、それがちんちろりんという遊びだ。
放哉 ちんちろりんには、ピンゾロとかあらしなどの、役があるだろう。俺の遊びには、そんなものはない。だから、勝ち負けもない。ただ、さいころの目が並んでいるだけだ。
山頭火 そんなことが面白いのか?
放哉 面白い。ただ、さいの目が並んでいるだけで、面白い。
山頭火 (さいころの目を見て)うん。
放哉 面白いだろう?
山頭火 面白いような気がしてきた。五の目が人間の顔にも見える。
放哉 一も顔に見えるし、二が足の裏にも見える。
山頭火 本当だ――。これが足の裏か――。なんだか、化かされているのか、足の裏に見えてくる。
放哉 (笑う)
山頭火 ところで、あんたは何をしに私のところへきたのだ?
放哉 わからんのか。
山頭火 わからん。
放哉 当ててみろ。
山頭火 金を借りにきた。
放哉 お前、乞食坊主のくせに金を持っているのか?
山頭火 ない。全くない。
放哉 そんな奴に金を借りにくるはずがない。
山頭火 それはそうだ。だがあんたが人に会いに行くときは、金を借りる時だけだ。
放哉 確かにそうだ。人と知り合うと、まず金の無心をしていた。知人は、みな金を貸した方と借りた方になって、いざ死んでみると、友というものが一人もいない。
山頭火 あなたの俳句に、他者が感じられないのは、片っぱしから金の無心をしたからというのか?
放哉 そうかもしれん。考えたことがないからわからない。
山頭火 (笑う)クククッ。でも、半分は当たっている。井泉水先生にも、あなたは何度となく無心をし、わがままを通してきた。普通の人は、あなたと友人でありたくない。人が十人いれば、うち九人までは、あなたを蛇蝎のように嫌うだろう。
放哉 残りの一人は――。
山頭火 知らんふりを決め込む。
放哉 まさに。
山頭火 (気付いて)ちょっと待ってくれ。あんたは、さっき「いざ死んでみると」といわなかったか?
放哉 いった。俺は死んでしまったのだ。
山頭火 そうだ。あなたが死んだのは大正一五年のことだ。今は、昭和一五年。あなたが死んで一五年経っている。
放哉 もう一五年も経つのか。
山頭火 ということは、あなたは誰なんだ?
放哉 俺は放哉だ。
山頭火 放哉は死んだ、という話をしたじゃないか。
放哉 じゃあ、お前は生きているのか?
山頭火 ちょっと待ってくれ。ここはあの世か。ということは、私も死んでいるのか? 私たちは死人同士なのか? 私は生きているぞ。(頬をつねってみる)痛い。なあ、生きている。
放哉 お前、相変わらず理屈っぽいな。加えて、頬をつねる所なども、常識にとらわれていると思わないか。安っぽい映画を見ているようだ。ここがどこでも、構わんじゃないか。俺たちは俳人で、俳句の話をしていればそれでいいんだ。
山頭火 そうだ。(自分に言い聞かせるように)ここがどこだってかまわない。私は尾崎放哉と面と向かって話している。では、俳句の話をしよう。あなたの句を私は、何度嫉妬したことか。「爪切った 指が十本ある」「墓の裏に廻る」――。ものの見事に他の人がいない。あなた一人が、宇宙の真ん中にぽつねんと佇立している。寂しくない。いや、寂しさを知らない。いや、存在そのものが寂しさなのかもしれない。あなたは寂しさそのものだから、寂しいという気持ちを対象化できない。する必要もなかった。
放哉 そういうことかな……。とにかく、死んでみたら、俺には友がいなかったということだけがわかった。
山頭火 寂しくなかったのか?
放哉 ああ、寂しくない。寂しいという感情さえしらない。
山頭火 だったら、なぜ、ここにきたんだ。
放哉 昔、福岡の大牟田で、医者をやっていた木村緑(りょく)平(へい)にお前の身の上を聞いたことがあったんだ。俺と似ている。本当に似ているのか、知りたくなったからきたんだ。
山頭火 そうか。実は、私もあなたを知りたくて、小豆島に墓参りをしたんだ。それも二度も。一度目は、昭和三年の七月だ。あなたが大正一五年に亡くなってからいった。酒屋で一升瓶を買って、墓に供えた。墓参りをすると、創作意欲がなんだか高まって、しばらくは蚕が糸を吐くように作品をつくったものだ。二度目は、昭和一四年、昨年の九月のことだ。あなたの墓参りをしたあと一二月に、私はここ一草庵を結んだ。悔しいが、山頭火の節目節目に放哉がいる。あなたには、どうあがいても近づけない。
放哉 近づくことはない。俺たちは、まったく違う世界に生きているんだ。山頭火の句だ。「炎天をいただいて乞ひ歩く」「まっすぐな道でさびしい」「うしろすがたのしぐれてゆくか」――。歩いている自分の姿を後ろから見ている、もう一人の自分がいる――。そんな目は、凡人には養えない。十分だ。
山頭火 同情はいらない。一箇所に留まって静かに「座って」句作するあなたは、強い。私は、気ままにあっちへふらふら、こっちへふらふら――。弱さゆえに歩いている。「ぼうぼうとして飲んだり食べたり寝たり起きたり 晴れたり曇ったり酔うたり覚めたり秋はゆく」だ。私は、ただだらしがない。その上節操もない。それを引き受けて生きるほかない。人に会いたくなれば、東京へも行く。京都へだって、仙台へだっていく。別れた妻がいる熊本にも行くし、ただ一人の息子、健(けん)に会いたくなればまた足を向ける。母の追善供養のために観音巡りもしたし、八十八箇所を巡るために四国へもきた。私はいつも行き当たりばったりだ。行乞を続けても金が足りず、友人の木村緑(りょく)平(へい)には金を送ってもらったりして迷惑のかけ通しだ。ただ、だらしのない一生だ。
放哉 お前は人間の分別で、ものを見過ぎる。
放哉は、自分の句を語る。
「ひげがのびた顔を火鉢の上にのつける」
「一疋の蚤をさがして居る夜中」
「咳をしても一人」
(『尾崎放哉選句集』より)
山頭火 何という強靭な俳句だ。心が壊れないのか。あんたは鋼鉄の心を持っているというのか? 私はひ弱だ。私は虚弱だ。私はただ逃げたい。逃げたいだけなのだ。
山頭火は胸が苦しい。夢にうなされているようにも見える。
時間が経過する。
暗転
朝、八時頃になっている。
そこに和泉桂子が入ってくる。
和泉 先生!! 山頭火先生!!
ハッと目が覚める山頭火。
山頭火は自分を取り戻し、起きあがる。
傍に放哉が立っているが、和泉には見えない。
和泉 (日記を差し出し)先生。縁側に日記が置いたままになっていましたよ。朝露にぬれて表紙が湿ってしまいました。
放哉 一草庵日記――。お前が最後に書く日記だ。
山頭火 最後に書く日記? では、私はもうすぐ死ぬのか?
放哉 ほどなく死ぬ。
和泉 先生、縁起でもない。先生はちょっとやそっとでは死にません。いつまでもお元気です。
山頭火 では、私は今、生きているということか。
和泉 生きていますよ。自分が生きているかどうか、疑問を持つところが、詩人なんですね。
放哉 その女は何者だ?
山頭火 突然おしかけてきたんだ。私の句が好きだという。昨日から、炊事洗濯何でもやってくれる。
和泉 先生、独りごとを誰かにいうような感じでいわないでください。何だか、誰かが本当にいるような喋り方なんだから。
山頭火 和泉さん、あんたこの男が見えないのか?
和泉 先生、冗談よしてください。誰もいませんよ。
放哉 いる。
山頭火 ほら、いるといっている。
和泉 (じっとその方向を見る)いません。
放哉は、和泉の目の前で手を振る。
和泉は反応しない。
和泉 先生、私を担いでいるんですよね。
山頭火 (気付いて)そうか――。あんたは亡霊なんだ。
和泉 私、亡霊じゃありません。和泉です。和泉桂子です。
和泉は、毛布を片付けたり、ちゃぶ台に用意してきた朝飯を並べたりし始める。